朝5時00分起床。
雲間から太陽が光柱をさしています。東京湾のあっちこっちで波間が輝いていますね。釣り舟が多いですね。もう土曜日か。一週間が早い。 ん ? 時間が早く感じるって、どういうこと? 思えば、時間の経過が早かったり、緩慢であったり、悠長だなあと思ったり、してきましたね。神様は、1日を24時間しか人に与えていませんから、みな同じ条件の中でヨーイ・ドンをしているわけですね。なのに、この時間の使い方には、いろいろあって、いろいろ感じるようです。
タイム イズ マネーで疾走する人もいれば、コーヒーブレイクのようにゆったりと時間を消費する人もいます。わたしは1日12時間以上も職場にいますので、職住一致の自営業より少し息抜きする時間があるという程度の暮らしです。この暮らしの中で疾走するか、悠長に消費するかでしょうが。・・・それでも太陽は日の出から日の入りまで、われわれと関係なく運行するし、夜もまた、その逆をいっています。
平等に付与された24時間のうち生命の維持・更新に必要な睡眠時間をさしひくと、有効活用できる時間は、せいぜい、16~7時間でしょうかね。目の前を過ぎ去っていく時間は早い。しかし、この時間を、ずーっと、爆弾と、飢餓と、絶悪環境との下に暮らすとしたら、これはもう、なが~い、なが~い、時間ではないでしょうか。24時間が、48時間にも72時間にも感じてしまう。そういう状況に置かれている人のこと思うと、自分のためだけに神様のくれた時間を使えるということは、なんと贅沢なことか。
ここまで書きながら頭の中に浮んでくるのは、<欲望>と<時間>ということですね。人は、「人の欲望する」その欲望を欲する欲望を持っています。それぞれの時間の経過は別なのですが、共有する時間はその<欲望>によって形成されている。欲望は無限大、なのに時間は限定されている。つづく