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朝4時40分起床。
きょうは風といい、気温といい、天気といい、たいへん爽やかな朝でしたね。 職場の前の猿島のむこうに出る朝日も、朝焼け小焼けでした。 写真は、これ。 目覚める前に夢の中で、今見た夢を覚えておこうと必死につぶやいて目覚めたときの記憶に残っている言葉が、「Win cut 」と「day cut 」です。なんのことかといいますと、これ記憶喪失の話。夢の中では、記憶喪失という言葉が登場せず、1日だけ記憶がのこっている状態群を「day cut 」と表現していました。間髪いれず忘れるのを「Win cut」と。(ことばは夢の中での造語です) 仮に自分に、1日だけの記憶しか残らない場合、どういった生活になるか、また、すぐにつぎつぎ忘れていく場合の生活はどうなるか、そんなことを夢の中で検証していたようです。 (変な夢見ていますね) まず、双方ともに連綿としたつながりが断ち切れて行くわけですから、過去のない生活となっていきます。いま食べたことも忘れますから、身体の生理的要求にのみ依存して生きなければならないだろうと思います。さらに記憶がないわけですから、経験という比較対象もありません。知的な蓄積がありませんので、きっと知的欲求も起こらないだろうことが予測されます。……自分のそんな症候群として歴史を考えた場合、ヘーゲルなどが定義した歴史性というのが、いかに<記憶>と結ぶついているか、そういうことだろうと思います。出来事を証言する人がいる間は、その記憶において整列されますが、目撃者がいなくなったとき、そこに人間の生活があっても歴史はないということなんだろうと思います。 単に、身体要求と身体記憶を生きているということは延命かも知れませんが、歴史的には死者なのではないか。生命の尊厳からいうと、未来(神)にゆだねた命。さて、ここらあたりのことをヘーゲル哲学に照応させると、「歴史に登場する民族がつぎつぎと交替するなかで、世界史がそうした発展過程をたどり、そこで精神が現実に生成されていくこと──それこそが正真正銘の弁神論であり、歴史のなかに神の存在することを証明する事実です。理性的な洞察力だけが、聖霊と世界史の現実とを和解させうるし、日々の歴史的事実が神なしにおこりえないということ、のみならず、歴史的事実がその本質からして神みずからの作品であることを認識するのです」記憶の喪失に置いてもなお、人の手の加えられる歴史修正や改竄とはほかに神の手は伸びているというのである。 さて、夢の話に戻りますが、わたしが夢の中で造語したWin cut & day cut という造語をつくって<記憶喪失>という日本語を忘れていたことで何をつかもうとしていたのかを考えますと、どういうことになるのでしょうか。言葉でつかもうとしていたのは、在つたところのものでなく、つねに在るところのもの、それ自体をまずピント止めしたと思います。 それは本質的に、精神的なるもの、本質的に人間的なるものに依拠して、いつでも存在しているものについて物語ることを欲していたからではないかと考えます。なんというか、永遠に人間的なるものの生命のメロディーへの切実な要求を反映していたのではないか、歴史をそういう風に捉えるために。・・・ありゃ、ありゃ、なかなか、うまくまとまりませんね。
by higatatsuo
| 2004-11-27 08:41
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