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朝5時00分 起床
気温華氏30度、摂氏-2℃ オキナワの方言には、<しー抜がったん>とか、<マブヤー落とちゃん>とか、生命の危機にかかわる表現がある。大人として<芯>が抜かれたというのは、<精>気がなく覇気がないことをいい、そういう状態を「ダーリィ(倒れ・垂れ)」と表現する。また、それを他人が、別な表現でいうと、<マブヤー(魂)>落としたと評されたりもする。自分の経験を振り返って<魂>を落としたときの状態が見た目、あの<ダーリィ>したときの状態と同じだからだ。 人間の体内にある<魂>は、抜けやすい。ひょんなことで、それを落としてしまう。とくに、子供の<魂>は、収まりが悪いので、逃げやすいと考えられている。自覚しないうちに魂が落ちてしまう。特に、びっくりしたときや驚いたとき、ひょんなことで落としてしまう。なので血相が抜けて元気を無くした子供を見かけると、まわりの大人たちは慌てふためいてしまう。 そんな場合、すぐに落とした魂を拾いに行かなくてはいけない。子供から落ちてしまった魂は、行き場を失って路頭に迷っているし、それを回収して子供の体内に戻さないと、その子も元気が出ないからだ。 大人の場合は、それが昂じて巫女病となる。通常生活ができなくなり、「カンダーリィ(神倒れ・神垂れ)」といわれ、夢や幻聴に神様が現れるまで、精気が抜かれてしまう。子供とちがって、周りの人には手の施しようもない。やっかいな大人の病気になる。 やがて、大人の「カンダーリィ」には、夢の中に神様が現れて、その人の<魂>が<選ばれたこと>が告げられていく。本人しか知りえない方法で、神がその人の中に住まうのだという。彼や彼女らは、その後、霊媒師のようなことをはじめていく。 考えてみると、オキナワでは、生まれた瞬間から、その人に備わった<マブイ(魂)>育てが始まっていく。大人になるということは、<マブイ(魂)>がしっかり体内に収まって、なかなか抜けたり落ちたりしなくなった人のことをいう。その中から、選ばれると、大人の霊的な問題にかかわる巫女が誕生する。それが<ユタ>と呼ばれる霊媒師たちだ。この<ユタ>たちは、じつは<神>の声を聞くのではない、自分は神の声に聴き従う行動をする使者であって、つまり、代理人であって、その声の発しどころの<祖先・先祖>の<魂(たましい)>の聞き役であるという。したがって、オキナワでは、神ないし祖先神の声は、直接、人々に聞こえるわけではない、人々は、ただ祈りによってのみ審判を待つほかないのである。神ないし祖先神たちは、この世ではユタに<沙汰>し、彼ないし彼女たちが言葉に置き換えてのち、神ないし祖先神の意思は、祈る人々に伝わっていくことになる。 神ないし祖先神の意思は、祈るものたちに、直接、まっすぐに向けられた言葉で語られるものでないということ、それは、祈るものたちの体内にある<マブイ(魂)」の不安定さから呼びかけられてはじめて姿を現すに過ぎない。前兆として揺さぶり、魂がゆり動いて不安が生起し、呼びかけて言葉がかえってくる。つまり神ないし祖先神が、そこで、はじめて他者であることを知るのである。常日ごろは、別のしかたで存在している。
by higatatsuo
| 2011-02-12 07:16
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