朝5時00分 起床
気温華氏32度、摂氏-1℃
三陸沖 M8.8
宮城沖 震度7
長野北部震度6
新潟沖中越震度4
きのうからの地震を受けて、身のまわりでかわったことといえば、事務所のしたの入り江の海面の潮位が、やっぱ、おかしい。一時間ごとに<満ち干>を繰り返している。東京湾を大きなタライとしたら、それをゆっくりバッタンコ・バッタンコさせている感じ。一方の端に建っている事務所だから、足元の潮位が、上がったり、急に引いたりしている。その落差1.5mくらいかな。もしかすると、太平洋を大きなタライにしているのかもしれないけど。バッタンコ・バッタンコ。
今朝の日の出は、いつになくデカイ緋色でした。
眩しい、
昨夜の停電復旧は、夜12:50分ごろ、明かりのある生活が、なんと、すばらしく便利であることか、薄暗い日の入りからだんだん暗くなっていく室内で、なにもできないし、もう寝るしかないとあきらめて布団へもぐりこんでしまった。
考えてみると。子供のころ、ランプ生活というのがあったけど、すっかり、忘れていたなぁ、電気のなかった時代を、おいらも、過ごしてきたはずだが、あらためて闇の怖さを思い起こした。ほんの50年前まで、母親がランプの下で夜なべの針仕事をしていると、祖父母に油がもったいないと、叱られ、早寝を強いられる母だった。その母親の寝床にもぐりこんで寝るのが嬉しかった。いつもは一人で暗い部屋の中で、夜遅くまで針仕事をしている母親のうしろ姿を見ながら睡魔と闘っていたのだから。
子供にとって母のいる居間の横の小部屋にひそむ闇は、怖かったなぁ。はるかむかしの記憶がよみがえってきて深い闇の中に怯えている被災者の恐怖に、おいらの気持ちの奥が震えた。2百人、3百人、4百人と時間を追うごとに増えていく被災者の数が、朝には、「千人をはるかに超えた犠牲」となっていましたね。だんだん、明らかになっていく被害の状況をしるたびに地震の恐ろしさ、津波の怖さが拡大していきますね。とくに午後になって明らかになりだした原子力発電所のダメージが、だんだん大きくなっていきますね。原発2台で100万世帯分の電気が不足するといいますが、それより、核燃料の放射能漏れ、の拡大が大きくなっていっています。明るい電灯のべんりさを担保に、原子力発電の危険を引き受けている、われわれの生活。
あれから50年後のいまじゃ、闇の怖さだけではなく、被爆の怖さという恐怖が重なっている。クリーン・エネルギーなんて電力会社は宣伝していましたけどね。
ここからは、シビア・アクシデント情報です。ttp://ht.ly/4cW0V