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朝5時00分 起床
気温華氏38度、摂氏3℃ 北風が吹き付けて、寒いね。いつになったら春になるのだろう、今朝の同僚氏の第一声です、被災地の画像には雪が舞っています。冷え込んでいる中でも、昼間は、ぽっかぽか、職場のサクラの木に、白い花が二つ、三つ、おお、開花ですね。陽だまりの中に立っている老木には、無数のつぼみがはちきれそうでした。 夕方のニュースで、東京でも、サクラの開花宣言がありました。例年より、遅めだとか。 昼間、枯れ枝のような枝垂れ桜の樹木を見上げながら、ふと、この枝に花が咲くのは<絶対>的な真理なのだろうかと思った。(思考がさいきん神がかっています、笑い) たぶん遺伝子に損傷がないかぎり、それは条件さえ揃えば花が咲くように設計されている。遺伝子の設計図、これが生命の真理の姿なのでしょう。(ね、神がかっているでしょ) この図面が、放射線を浴びて破壊されてしまう。そういう事故の渦中です。 被曝事故というのは、人間にとって遺伝子の設計図の破壊である。 原発は、科学技術の最先端、安全に万全を期して作られている、クリーンエネルギー、つうのが脱石油の新しい世界的な大きな流れだった。福島第一原発の事故は、この流れからハッと目が覚めたような衝撃的な事故でしたね。少なからず原発推進国に大きなショックを与えたようです。 福島原発の事故報道を見ていますと、数字的に語られる情報が多いですね。今朝など、たとえば、「○丸シーベルトというのは、ほうれん草を50年間毎日食べ続けても、1年間に人が浴びる放射線量と同じ量です」というアナウンスをしていた。 これを聞いて、視聴者である「ちょぼちょぼ」は、ふん、そんなものか、安心だね、と思うし、「半径30キロメートルというのは、飛行機で上空1万メートルを飛んで移動して浴びる宇宙からの放射線量より、低いレベルの被曝です」と言われると、ああ、なんだ、屋内待機警告も、大したことないね、安心した、と思うわけ。 ん?待てよ、ほうれん草を毎日50年間も食べ続ける人いるか?飛行機は、たまに乗るけど、自宅は常時1万メートルの高いところに位置しているってわけか?と疑問に思った。二重三重に「絶対安全」だといわれた原発から<絶対>がはずれ、二重三重に<安全>に万全は期しているが<盲点>はあったとなり、原子炉がダメージをうけて設備から漏れでた「放射線量」を、時間と、空間に配置して数量化する、そういうことの思考方法に変わっています。これって「絶対真理」がない状態じゃないですかね。それを隠すために今朝のテレビでは、事故の現場で対処にあたっている人は450名、食うものも、シャワーもできず、過酷な現場で作業していると「お涙チョーダイ」に報道していました。 「ちょぼちょぼ」としては、作業に当たっている人々の、被曝量を刻々とありのまま数字で伝え、その過酷な中で仕事しなければならない状況をレポートしたほうが、より、現実に近い報道だと思うのですが。テレビやラジオでは唱歌や童謡や演歌を流し、えんえんと励ましの手紙など「お涙チョーダイ」に垂れ流している。被災者がほしい情報は、炊き出しや配給や支援物資の配布であり、避難生活の具体的な見通しである。それが重要だけど、報道されるのは、ちんぷん・かんぷんの情緒的感情論ばかり。 では、なぜ、現実を伝えず、報道が情緒論に変わってしまうか。 科学的事件を情緒論にかえてしまうロジックについて見逃してはならないと思うね。(笑い) あの根性論とおなじなのだから。 なにが同じかというと、考え方として、この場合、「放射線量」を、時間と、空間に置換して数量化するという発想が、つまり神話化のスタートである、つうか物語づくりの発端であるともう。では、その思考過程について考えてみよう。 まず、Bqが放射線のペースという理解のしかた、これが何かですよね。 1Bq=「1 s間に1原子核が崩壊して放射線を出す能力」と定義される、これは具体的にいうと、放射線のベースというのは物質名と物質量で決まる、これがペースなので物質量の尺度と同じになること、この物質量自体は、流れ等によって変っていくとBq値の時間変化になるわけ。この特徴を拡大していくとさきの50年食べ続けてとか、上空1万メートルの飛行という神話的発想が生まれてくるのではないかというシロートの論理的な疑いですね。(笑い) その結果、へぇ~、たいした量じゃないジャンという<安心>の方向へ人を導くのである。そういう前世紀以前からつづく黄金づくりと同じ。
by higatatsuo
| 2011-03-28 05:31
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