朝5時00分 起床
気温華氏77度、摂氏25℃
井上ひさし氏の戯曲「父と暮らせば」読む。映画にもなってるし、みたいので探す。ビデオショップでさがして、さあ、借りるぞ、借りようとしたら、あちゃー、思い出した、デッキがこわれている、修理出すの忘れてた。
たしか、昨年、だったか、おととし、これ壊しちゃったから直しておいてね、ちって留学先へ帰って行った息子だったはず。まずは、修理からだ。
つうわけで、近くの量販店へ。お客さん、あのぉー、これ、修理するよりご購入されたほうが安いですよ、だって。ん、?そ、そうなの?知らんかったので、帰宅して家人とそうだん。
家人いわく、先日、DVD、息子のやつ、ぜんぶドアtoドアで送ちゃったから見る人いないから却下だって。つうことで、宮沢リエちゃんの美津江は見れんかった。おいら、ぶつぶつと、ショーがない、つうと、家人は、この言葉が大嫌いで、しょうがない、といわないで、死んだ人につかう言葉なんだからと。
あきらめるというのは、彼女にとって、死別、絶対的に回復されない出来事、ショーがない、なのだなあと意味の違いを知りました。
美津江のもとにかえってきた竹造は、ショーがない人ではないのだ、美津江の血と肉、思い、悩み、苦痛からよみがえってきた人なのだからね。
確かにそういうことなのでしょう。おとったん、ありがとありました。
戯曲の主題が、別の感情の形で、よみがえってきた。あっは。