朝6時00分 起床
せみの声で起きた。夏の暑い陽ざしとせみ。なんだか原爆が落ちた60年前から、ことし3月の福島第一原発の爆発まで、一直線の短い時間だった気がする。
戦後60年が短いか長いかは、それぞれ見方によって異なるだろうけれど、破壊兵器と、その科学利用という点では、時間の流れでは短かった気がする。なんせ、科学利用するといっても、最終処分に、まったく見通しのない燃料である。安全な終わりがまったく見えない以上、科学としては<平和利用>というわけには行かないのではないか。殺傷力、殺戮力、破壊力、それだけが際立っている、つまり、兵器の本質だけがむき出しになっていて、これに依存して脱却できていないということだ。
3月11日の福島第一原発のメルトダウン、メルトスルーは、つまり、科学的知性が、兵器の本質に退けられた日であろう。長崎、広島に落ちた原爆、その破壊力の平和利用を目論んだ知性が敗れた、そんなシロートの結論だ。
で、その敗戦処理のしかたが、また、非科学的だった。原子力事故を過小に見せるためのデータの未公表、隠蔽が行われ、内閣の組織的な対応活動が遅れたばかりか、情報が拡散した。いっぽうで、すぐにマスコミへの広報活動が開始された、広告主の宣伝自粛の名のもとに、いっぱん広告枠がすべてAC広告へ差し換えられて、ほぼ2万回も、統制のための宣伝が放送された。原発がないと、電気がこんなにも足りなくなるぞ、というわけで、あわせて、じっさいてきな計画停電が関東全域にわたって細かく時間を区切って実施された。すべてマニュアルどおりのことであろう。
その間、福島第一原発の事故地周辺では、20km県内の強制避難命令とか、30km県内の自主避難区域などが設定されたが、これはスピーデイなどであらかじめ原子力被害の拡散地域予測とは、関係なく決められていたもよう。これも、マニュアルどおりのことであったろう。
そして、すべては「東電救済法案」(<「原子力損害賠償支援機構法」>にむけてしゅうやくされていったのでのである。
本来なら、長崎、広島のあとには、東京裁判があった、福島第一原発のあとにも、これに類する裁きがなければならない。似ているのは、ともに、未曾有の被害をもたらした側が、裁かれていないということなのではないか。う~ん、妄想かな、こりゃ。(笑い)