朝5時00分 起床
気温華氏37.4度、摂氏3℃
小雨ちらちらの中、出勤、風もなく、底冷え、という感じもない。けれど。ぐんぐん、寒くなっていく、風も少し出てきて、雨は強くなっていく、11時ごろには、雪まじりの雨、お昼には雪になった。足元のズボン冷たい、ぶるぶるぶる、底冷えがする。
気温は、出勤時と同じ。まったくそのまま。たぶん、退勤のときには、さらに冷えて、夜には真冬じょうたいだろうか。ニポンには、中道という文化はない。中庸から引用してきただけ。少数民族があらそう大陸では、たしかに、中庸ということが、だいじだったと思う。
しかし、それは大陸での話し。とくに中華、漢民族の政治的しせいにほかならないのではないかと、シロートは思う。それをあたしい、新進の思想として武家社会が受け入れてきた。もともとは、そんな中庸なんて思考はニポンにはなかった。今日流にいうと、それはイデオロギーにしかすぎない。原始ニポンには、ない思想だった。
したがって、中庸を源流とする中道は、じつはイデオロギーにしかすぎないと思う。ニポンには、「つなぐ思考」だけがあった。このつなぐ思考のできないところがイデオロギーとして「中道」を主張したのではないか。最近の政治思想で、中道右派、とか、中道左派とか、そんな表現があるが、その実態は、変化である。そこにはつなぐ思考はない。変化とは、あいての顔色を見て立場を決めることだ。それを中道というなら、それは中国の「中庸」の曲解に由来するのであろうと思うわけ。
シロートだから、勝手な妄想だけど。(笑い)小沢一郎衆議院議員は、映画「山猫」から引用している、「生き延びるためには自分がかわらなければならない」それが中道だけど、しかし、そこには、「つなぐ思考」があるのだろうか。そこが小沢氏の政治姿勢として明確でないところ。不審をもたれているところである。明確にせよ、そのつなぎ思考を。(笑い)革新的につなぐ思考を。
中庸の意味を検索辞典で調べると、
ちゅうよう【中庸】とは。意味や解説。[名・形動]1 かたよることなく、常に変わらないこと。 過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。
つまり、中道=変化ではないのである。