某宗教団体の代表に、「守護霊インタビュー」つうのがある、さいきん、よく見かけるので、なんだろうと思っている。
いわく「石原慎太郎守護霊インタビュー」とか、「オバマ守護霊インタビュー」とか、いろいろ。
その由来は、たぶん、人それぞれに守護霊がついていて、それにコミットできるというところが某宗教団体の「うり」なのかもしれない。
そういえば、「うり」というのは、韓国語で「うりなら」とか、そういう使い方がされる「わたし、われわれ」「同胞」とか、ということばである。(カンケーないか、笑)
某宗教団体の代表は、でも、守護霊とのコミットを媒介にして「うりなら」のインタビューしているわけだから、あながち、カンケーないというわけでもないだろう。
そういうこじつけもできるかもしれない。(笑)
なぜ、そんなことをいうかというと、ニポンには「憑きもの」という霊物がいて、「守護霊」に取り付いてインタビューしている人も、「憑きもの」ということになるのではないか。(笑)西洋とジャポンをごちゃまぜにしているけど、ま、似たようなもんだと思う。(笑)
「守護霊インタビュー」しているのは、東洋の「憑きもの」ってわけ。ジャポンの憑き物には、あまりいい意味はない、人に乗り移って、その人に災いをなすと信じられている動物霊や生霊・死霊。物の怪(け)のたぐいも、いるからだ。しかし、「憑依」ということで考えれば、別な意味もある。西洋哲学の世界で言うと、『プラトンはその著作『パイドロス』の中で「神に憑かれて得られる予言の力を用いて、まさに来ようとしている運命に備えるための、正しい道を教えた人たち」と、前4世紀当時のギリシャの憑依現象について紹介している。『ティマイオス』では、憑依された人が口にする予言や詩の内容を、客観的な視点から理性を用いて的確に判断し解釈する人が傍らに必要であることを述べている。』(Wikipedia)という具合。
こういう思考方法が社会的に多用されてくるのは、近代国家の構築期、第一次大戦の経験を経てからである。ジャポン国では昭和に入ってからのこと。つうことは社会が混乱し、価値が揺らいでいるときの富国強兵の世の中と関係する思考法のひとつなのかもしれない、つうか、そういうシロートの仮説である。そのあと宗教弾圧がまっているのが、ニポンの歴史なのであるから。