小説の資料探しで、あっちこっち、ふらふらしてたら、こんなページを見つけた。写真をお借りして内容を引用するが、ほんの一部なので、全文はこちらで、アドレス、bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=446
小説の資料にとどまらず、かなりショックでした。着手した短編、さいごまで書けるかな。
<引用>
1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。
1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。
「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。
これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。
戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
<引用おわり>
短編執筆の資料を探していて考えたことは、ミラン・クンデラの言葉、「人間がはじめて肉体的な自我を発見するとき、まず最初に感じるのは無関心でも怒りでもなく、なによりもまず、恥ずかしさである。さまざまな浮き沈みとともに、時間によって弱くなってはゆくものの、生涯ずっと人間に付いてまわる根本的な恥ずかしさ。《不滅》」これをうけて先の引用をみたときのショックときたら。
クンデラのいう<恥ずかしさ>をおして告白する、
そこをブンガクが拾うわけ。こんどの短編のテーマが焦点をむすんだ瞬間だった。
朝日新聞によると、維新の中山成彬氏の発言。
宝塚市で開かれた講演会で旧日本軍の日本人慰安婦に触れた上、「日本女性は自分で私は慰安婦でしたと誰も言わない。恥ずかしい。韓国人女性はそんなことはない。嘘ばかり言う。人種が違うと思わざるを得ない」などと述べたという。
「人種が違うと思わざるを得ない」政治家が、いまだニポンにはいるということだ。こんな人間の発言と思考をニポンでは美徳とする悪習があるから小説家は作品を書かざるを得ないのだ。