朝4時00分起床
きょうも小雨、肌寒いですね。今朝は寒暖計を見なかったので、温度は、きのうと同じくらいかなと、推測するばかり。体感で、さむい、ぶるぶるぶる、でっすとお伝え。
今週号のアエラに、面白い記事。発見。
ローマ法王死去「やり残した対中和解」というのが載っています。 中国とバチカンの間に、ちょうど日本の靖国神社の問題と同質の対立があるという記事。19世紀末の「義和団事件」の犠牲者だった宣教師たちを、バチカンが「聖人」に列した(列聖)ことに対して、「帝国主義の道具を聖人にするなら歴史の改竄である」と中国が激怒したという。
なんかなあ、ここには<考察>すべき何かがあるような気がしますね。夕べは、「転換の書 メ・ティ」から、現実に役立っていて名声のない、役に立つ男であることの称賛と、すでに自分が役立つ男であることのすべを知らしめている男への称賛について、読みました。
さいきんは、自分は役立つ人間だよと指導者に知らしめるすべをしっている人間の方が重宝され、そういう人間が称賛され評価される。いやな世の中だよね。こつこつと仕事して役立っているのにアッピールのない人間がバカをみる。そういう見る目の違う指導的立場の人が増えていますね。指導者自身が、そのすべを駆使して、その地位を築いたとしたら、砂でつくった砂城・・・です。けっしてその砂が巌となりて苔蒸すまで、千代にはつづかないでしょうね。そんなことがメ・ティはいいたかったのか。・・・きょうは、アエラの記事が頭の中をかけめぐっている一日ですね。義和団事件で殺害された宣教師たちを、「聖人」に列聖するのは、どこか、A級戦犯を靖国に祭ることと、同じような気もするし、メ・ティのいう名声による偶像つくりかも知れない。