朝5時00分起床
風が強い、南西の風、気温華氏61度、16℃、昨日と同じような1日のスタートですね。昨日より、ぐんぐん気温が高くなりそう。家人の妹が来日するので、成田まで、お迎えに行くのですが、連休初日で、どこもかしこも、交通渋滞のようです。
連休くらい、家で、のんべんららり、ぐたーっとしていたいんですが。人間を放棄して、カフカの芋虫みたいに床にゴロンと、読書していたいのに。・・・と思うのは、理想、日ごろ怠けている分、家人の用事がワンサとたまっています。とっほっほな、連休となりそう。
夕べは、「転換の書 メ・ティ」から、協会について、読みましたよ。う~ん、革命の指導という側面から理解するよりも、激動時の幻想的回帰性の生成原理を、歴史からひろって補足的に考えると面白い、ということに気がつきました。ブレヒトが見逃している点が発見されるので、そこから革命を眺めると・・・。・・・テ、わけで、・・・つまり革命という新しい社会、今だかつてあらざりしものを作り出すとき・・・・・・。
マルクスはフランス革命の中に<過去の亡霊>を見ていましたね。
さて、そのとき民衆の歴史の見る亡霊って、何だっけ?
ヘーゲルは、「すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」と看破していましたが。
考察1・・・フランス市民たち、フランス革命とナポレオン帝政と王政復古と七月革命という世界史的な変動を生き抜いて、政治的成熟を果たしたはずですが、しかし、その後市民たちの選択したのは、詐欺師まがいの人物を皇帝にいただく第二帝政であった。
考察2・・・・つぎにドイツ市民たち、第一次大戦の敗北、恐慌と、その後のワイマール共和国の破綻と革命の暴発を経験したドイツ市民たちが、つぎに選択した政体はパラノイア的な人物を総統にいただく「第三帝国」であった。
いずれの「第二帝政」も「第三帝国」も、歴史の現実として「荒唐無稽な政治的幻想」でありました。これが現実の悪夢。ブレヒトの革命の指導原理として協会を考えるとき、わたしの妄想はここへ伸びていきました。