朝4時00分起床
気温華氏50度、摂氏10℃、いっきに3月下旬の寒さですね。ぶるぶるぶる。東京湾は雲の多い空ですが明るい太陽が透けて白く輝いています。大型の貨物船や自動車運搬船の航行が目立っていますね。夕べは、家人の妹のお誕生日会でビールを1本、500ml飲んでダウン、前後不覚で爆睡しました。それにしても夫婦二人同じ誕生日とは、ご縁も、いなものですね。ケーキ、ビーフン、フランクフルト、チキンで、かんぱーい。
・・・てことで、「転換の書 メ・ティ」は、朝トイレで読みました。移ろい易さについて書いてありましたが、またまたワタクシ流に拡大解釈しますと、情報過多の世界とは何か、ということを考えてしまいました。昔なら人のうわさも七十日といわれて口さがない人々のウワサ話の移ろい易さ、短期間のはかなさが言われましたが、今ではさらに、四十九日に短縮され、7日間で、はかなく消えて、なお人の口の端にも上がらないものさえ生起しているという状態のようです。
目の前を、つぎつぎと事件の情報が過ぎ去っていく。テレビでは一言コメントですまされ、なにが問題だったのか議論される間もなく、つぎに起こった事件へと移行していく。コメンテーターは未消化の情報の渦の中で、支離滅裂な一言をいい、それが社会的風潮であるかのように、消えていく。不可視の大河だけが、そこにあるかのように。カー・メー先生(マルクス)のいう、偉大な方法とは、この不可視の大河の可視化(転換)のために哲学があり、ある一定のそうした状況を転換できるための方法を要求するという。政治への転換である。今日の政治が小泉日本国首相のようにワンポイント一言で動く、その移ろい易さから、抜け出る方法をここでは対置させて考えることが出来ます。そんな感じで読みました。 メ・ティ氏は、こういいます。「<偉大な方法>が要求するのは、ある一定の情況をどうしたら転換へと移行させることができるか、その方法について語ることなのだ。」と。現代の情報過多and消費型の世界では、その審級は行方不明の状態なのであります。そういうところで行われる情報操作は、定時に、あるいは事あるごとに画面に登場する一言ワンポイント・コメントにおいてなされるのであります。小泉純一郎首相のピンポント発言はご記憶にありますでしょうか。