朝5時00分起床
昨夜は爆睡でした。家人が極楽温泉旅行から帰宅するのもわからない早い時間から、
大いびきの鼻ちょうちん爆裂だったようです。「駅からTELしたのに」と、ぷんぷん。まあ、しょうがないか。今朝の気温華氏、69度、20℃。くもり、朝モヤの中、出勤。
このごろ小学校の校内暴力で、大変だそうですね。思春期の中学生が荒れるというのは、わたしのころからありましたけれど、それが、さらに低年齢化しているようです。マジ切れ、とか、すぐに思考停止して<力>でものごとをねじ伏せて解決を図ろうとする。
大人にある現象が、こどもにまで広がっているようです。考える能力と、コミニュケーションの欠如が子どもにも浸透しているのかな。まあ、<こども>は、小さい大人ですからね、社会に蔓延している<暴力沙汰>が、子ども世界に浸透しないわけがない。小さな大人を育てる隣近所や町内会や村がなくなったのですから、<こども>も、村の子ども世界で<もまれる>ということがなくなったのでしょう。むき出しになった<自我>がもまれていない。
そういう子どもたちが集団生活の場に急に集められるわけですから、そりゃ、たいへんでしょ。学校と、家庭と、本人と、うまく連携したコミニュケーションがなければ、途方にくれてしまうのは当然です。小泉チュルドレンだって、何回も会合つくって全体が分かるように説明をし、自分たちが考えて行動できるように<教育>しているではありませんか。もっとも、無派閥という総合互助会的利権の優位性を、族議員的金権力人事集団から変えようとするものではありますが、これらもまた、別のコミニュケーションの形態ではあります。そういう<思考力>を養おうというものですから、学校教育でも、この二つがポイントでしょうね。
コミニュケーションの構築、考える能力の開発、いずれもそういう「道筋」が不足しているところに<暴力と反抗>があるのかもしれません。