朝4時40分起床。
最近、夢を見ないなあ。見ているけど記憶にないだけかな。
むかしは枕をヨダレで濡らすほど深い眠りに落ちていましたね。地震が起きようと、火事が発生しようと、ドロのように寝ていて、母親から、よく、ウシみたいだと揶揄されていたものです。
まあ、母親の身になってみれば、なにごとにも動じないという意味で、そう呼ばれたのだと思うのですが、振り返って見れば、当時は、まだ、狂牛病に罹ったウシかどうかというのは分からなかったのですから、その比喩でないことは理解していますけどね。
しかし母親から見た息子は、どんくさい男の子だったに違いありません。のたり、まったり、のっそりした、どんくさい行動に、思春期の男の子への苛立ちがあったのかも。(クラブ活動でバスケットボールをやっていたんですが・・・自宅では、どんくさい中学生でしたね。)
男の子は、頑丈な身体であれば、それでいい。
元気であれば、それが一番だ、という祖父母の信念に助けられて、まあ、思春期をやり過ごした自分があったことをいまさらながら思い出します。
祖父母は、目をほそめて孫たちの成長を見ているほうでしたので、わたしは自然と「じいさん子・ばあさん子」と呼ばれていました。 おかげで私の中の文化的な素地は、隔世遺伝のように身体の中にそそぎこまれたようです。沖縄の古いしきたりや慣習の共同体的なものと、学校教育で身に付けた近代知識と、高等教育で受けた現代知識が並存して、それらの折り合いをどうつけていいか、長いこと迷っているとき、ふと、腑に落ちた言葉がドストエフスキーの何気ない文脈でした。
知識は、魂の叫びをたすけるための道具、もしくは機械にすぎない。・・というようなことでした。なんの一節だったか、すっかり忘却に帰していますが、今朝、ふと、その言葉を思い出して目が覚めました。なぜ、そういう目の覚め方したか振り返って見ますと、日ごろの脅迫概念がそうさせているようです。私はいま、「赤犬子伝説」という作品にとりかかっていて、「対象と同世代の書き手が、おのれ自身の問題として扱うべき」テーマなのに、どこか他人事のような感じしているからです。夢の中で、叱責するなにかが声をかけたんでしょうか。これだけは、なんとしても書き上げたいと思っているから。
・・・文中の ドストエフスキ-の言葉の引用は、「知性は、吾々の精神の火が運転される工具か機械です。」が正式のようです。