朝5時00分 起床
気温華氏38度、3℃、風のない、冷え込んだ朝、雲もまばら。東の空の、太平洋上には厚い雲の端が見えていて、日の出はそこで隠れています。雲のきれはしが真っ赤に染まって明るい夜明けですね。太陽が顔出すまで、間もなくって感じ。東京湾は、大型の貨物船や自動車運搬船など、作業船を避けるように、かなたを航行していますね。
きのうテレビを見ていましたら、携帯電話で決済するような機能付きの新型モデルの宣伝をしていましたが、これって、びっくりですよね。買い物するのに、携帯電話をかざして、ピーっと支払い完了なんてさ、カードと一緒じゃん。電車乗ってピー、食事してピー、買い物してピー、現金を持ち歩く必要がないような事態になるんじゃないですかね。
ということは、ってことで、「ちょぼちょぼ人間」は、考え込んでしまいました。「お金」ってなんだろう?ってこと。基本原則にもどって<貨幣>って、なんだろうってコッテすよね。
そもそも、<これは「お金」ですよね>と真正の日本銀行券を認知して、価値を負荷してはじめて<流通>するわけでしょ。携帯電話でピー、ピーやっていれば、<金(かね)>なんて見もしないで、済んじゃう。すべてコンピューターの中で処理できちゃうわけで、なにが<お金>だか、分からなくなっちゃうんじゃないですかね。 コピー機で複製したものでも、「たしかお金ってこんな感じだったな>と太陽にかざして見たって、だれも知らないってことになりはしないか。
もしかすると、中学生や高校生が、コピー機で贋かねをつくるのは、お金が欲しいというよりも、じっくり見たこともないお金が、「たしか、お金って、こんな形じゃなかった?」「うん、たしかそんな感じだった」、「コピー機でも、いいじゃない?」「これって本物みたいじゃない」「使ってみようよ」と、まあ、そんな感じで、複製品に<流通する>価値があるかどうか確認するという一連の悪戯行為にいたるのではないかと心配しますね。物々交換からはじまった人類のお金の歴史ですが、いまでは等価交換の価値が崩壊して、手に入れることの困難な抽象債券化して、ますます入手困難な状況になりつつある。困難だから、入手するための方法もルールもない、そんな状況なのかもしれない。あるいは入手する方法がないのではなく、一部に独占されて、その方法も、ルールも、秘密主義の中に隠されているとか。特権化されているとか。とにかく一般の人には難しい状態になっている。まさに可視の神から不可視の神になり、イメージの情欲となって生身の肉体から分離しているのではないか。生まれてくる子は、神の子ではなく、市場原理の申し子に他ならない。それ自体は自らの交換価値を破壊しつつ。