朝5時00分 起床
気温華氏47度、8℃、雨、小雨、かみなり、豪雨、小降り、今朝は変化の激しい空もようですね。東京湾は、霧雨の中、大型貨物船が見えています。房総半島の上空が白いスクリーンみたいに真っ白です。その上は黒く厚い雨雲。
さて、さいきん気になることば<ガス抜き>です。不平、不満を解消する手段ですね。いろいろなガス抜きがあるようで、とても島国的な発想、と、思います。いやいや封建の君主の発想のような、いやいや仲良しクラブの秩序維持のような、だいじにいたるまえのガス抜きという予防的な処置かもしれません。暴発しそうに鬱積した感情を、ガス抜きして少しづつ飽和点を下げてあげるという、そういう術のようです。ところで柳沢厚労大臣、「赤ちゃんポスト」を容認する方向のようですね。会見のインタビューを小耳のはさんだところでは、<生を継続させる>意義があるとか、なんとか、そんなふううなこと言っていました。
ようは捨て子の面倒見よう、そういうことでしょ。当たり前じゃないですか。
しかも、ゴミ捨て場みたいに<赤ちゃん捨て場を設置しよう>ってこってしょ。これなんのガス抜きなんですかね。親の責任、その重圧から開放する安心のポスト、なるほど、ぴったりのガス抜きかもしれない。・・・とまあ、ここまで書いてきて、思ったのは、少子化の救済策と勘違いしている柳沢さんの弁じゃないよね。産む機械、ポスト投げ込み、う~ん、これって大量生産の発想じゃない?むかしから捨て子は、駅のコインロッカーにいれたり、ゴミ箱につつんだり、箱詰めしたりと、そういう非<生の継続>があるということを前提に、ん、じゃ、病院のまえにポストを設置して、ここへ捨て子どうぞ、っていう崇高な人道上の発想に変えたってわけ?
「ちょぼちょぼ人間」には、驚くことばっかりですね。
まあ、ちょぼちょぼは、生まれたときからだが弱く、元気に育たないと言われていたようですから、爺さまの教えで、この子を道に捨てて来い、とかいわれて、あっしは、捨てられたそうですよ。それを隣りの爺様が拾ってきて、どうだ、隣りのじいさま、おたくは孫がもうひとり欲しいそうだから、くれてやろうか。ええ、はいはい、うちは丈夫な子が欲しいので爺様、道に捨てられているような野生の子なら家にぴったりです。ひとつ、家にくれんかのう、ってわけで、50年も生きてきっちゃっているから、産む機械に捨てられるような子は、きっと元気に育つはずよー。
と、まあ、そうなるといいですね。それにしても捨て子ポストとはなあ。大量生産を期待しての処置なのだろうか。少子化の時代は面白い。このさい、中絶予定の子も、水子から育てる栽培方法を考えたら、柳沢さん。