朝5時00分 起床
気温華氏 度、 ℃ 曇り、朝きり、蒸し暑い。少し風が出ていますね。う~ん、なんだか梅雨の空のように、<晴れない>朝ですね。(笑い)光市でおきた母子殺人事件の差し戻し審、3日間の集中審議がおわって被害者の夫が記者会見し、「人を殺したことの反省がない」という強い憤りと、容疑者の証言に対する不審をあらわに語っていますね。被害者の心中察するところあまりありますね。憤りに、あまりありすぎて弁護団にも怒りが向けられていることには少々気になることがありますが、まあ、わからないこともない。
まじ、「ちょぼちょぼ人間」が、この一連の報道を通して、考えたことは、
・実証(物証)主義から
・心理的動機の解明
という、裁判所の意向の流れの変更を感じますね。審議を終わって、弁護団の会見においても、容疑者の無意識的な証言が新たに得られたのではないか、と、コメントしていました。8年前におこした事件を、26歳になった容疑者が振り返って、自分の<幼さ>に気づいて証言している内容は、ほんと、荒唐無稽な内容です。昨日の日記に証言内容は書きましたので省略しますが、きょうは裁判の流れがなぜかわったか、を、先に考えます。
いろいろ検索してみますと、裁判員制度の導入にあたって試験的に<心象裁判>を構築しているのではないかと、今回の差し戻し審では感じます。つまり裁判員制度の導入で、裁判が展開されるとき、おそらく、物証的な審議のほかに、心象的な、あるいは、印象的な、そういう主観的な判断が裁判員によって<持ち込まれる>という、そういう制度ですから、そこで重要となってくるのは、
・罪とは何か
・罰とは何か
・懲罰とは何か
裁判員に選ばれた人は、そういう心の課題に直面していくだろうと思います。ニポン人にとって、この課題は重いと思いますね。なんせ、<あだ討ち>とか、<日勤教育>とか、わりかし精神論的な訓示がまかり通って、不合理な<憎しみの構造>と、<集中的な排斥行動>が起こりやすい国民性ですから、それがどー反映するか、この制度の行方が面白いと思います。
と、いうことで、今回の差し戻し審を得て、どういう判決が下されるかは予測できませんが、少年法とか、そういうものの議論より、被害者の裁判への参加意識と、容疑者の心象との、これまでは排除されていた2点をどー裁判の中に取り入れて審議するかという、ひとつのモデルがここには、あるだろうな、と、考えました。