朝5時00分 起床
気温華氏
あったかい、明る~い、朝ですね。太陽が眩しい。東京湾は、大きな船から小さな漁船まで、いろいろ、浮かんでいますね。今朝も、ワラサが釣れていました。自然は、本来、豊かなんでしょうね。原点は、<命>の育み。微生物から霊長類まで、すべて命の再生産で、活動的な営みを歩んでいる。さらに、その原点の、もととなるのは太陽。
地上にあっては向日性で命が増加し、深海にあっては自ら発光することで輝いていく。命の奥、すなわち、心の扉の奥には、世界が広がっている。世界と自分との関係は、恋愛。命だからね。・・・と、ま、なんで、こんなこと考えるかといいますと、国会の証人喚問や、自ら柵をはずして海へ心中飛び込みする人があったり、自殺サイトで知り合った見知らぬ人同士で自殺したりと、このごろ<命の無駄遣い>が目立ちますね。ニポンでは、年間3万名。それぞれに理由はあるのだろうけど、たくさん死ぬと誰も責任は取らないけれど、一人が死ぬと原因と責任がさぐられる。命は、この世では平等ではない。存在していることは、別な形でこの世に生きていること、あの扉のむこうの世界に生きていること、では、ない。飢餓の中にいる人は、心に扉さえあることを知らずに死んでいく。自然の豊かさは、累々と積み重ねられた死者の上に築かれている。命の再生産は、その上にある。
脳に浮かんでくるのをそのまま記述すると、こんな文章ができた、そういえば、むかし自動記述ということを言っている人々がいたな。夢にみたまま、ランダムなシナプスのヒカリのまま頭に浮かんだことを記述する。もしかして茂木健一郎さんのいうクオリアという<質感>って、自動記述でいうところのデペイズマンのことかなあ。異郷の地へ送ること。いやいやいや、命そのもののことだろう。