朝5時00分 起床
気温華氏32度、摂氏ゼロ℃
くもり空、東京湾は、遠くまで、よく見えますね。対岸の房総半島は、かすみの中ですが。自民党の政治の世界も、かすみが、かかって不透明ですね。(笑い)
なに、今朝のニュースによると、きのう、自民党の郵政民営化、賛成議員の佐藤ゆかり氏と、民営化反対派の野田聖子氏の<手打ち式>が行われたとか。劇場型イベントの最終章の一つが幕を降ろそうとしている印象です。
ま、猿芝居といってしまうのは評論家で、シロートは、なんでそういう形式主義で強引に<かた>をつけようとするのか、その原理について考えますね。
<かた>づいたあとの余韻についても、興味がありますからね。
これには、ふたつあって、幕が引かれたあとの観客の余韻というより、閉じた幕の後ろで続けられている終わりのない演技について、その二つが形式ではぬぐえないからです。
たとえば、佐藤ゆかり、という登場人物をささえた2万名の署名、これを集めた人物たちについても、そのごどーなるか。両者の会見<手打ち式>で決着ついて、幕が下りたとみるか、いっぽうの主人公は、さっさと国替えで、舞台を移してしまうわけですから、のこされた脇役たちは、他方の主人公をどー支えるかですよね。
ここに自民党の党利党略、その原理原則の不思議さを考えますね。
女の戦いの舞台が、主人公の国替えで決着をみて、幕が下りたあとの主人公ふたり揃っての記者会見をみますと、なんだか劇場型猿芝居を見た印象ですね。主人公というのではなくて、実は、猿の芝居であったと。そんな感じ。ですから、記者会見は、踊らされた猿たちの会見であったような印象です。だって後ろには、手綱をひくお歴々がずらーっと並んでいましたからね。
自民党の、ひとつのイメージ戦略を兼ねた会見でしょうが、党利党略に翻弄された<猿>の悲喜こもごも、って、感じ。けつろんは<猿>の棲み分け、むかしふうにいうと殿様の国替えであったということのようです。
で、手綱をもっている、お歴々のその握っているのは<封建>という昔ながらの<ひも>といようか、<くさり>といおうか、<練り棒>といおうか、打ち粉は、<託身>と<庇護>でなければならない。まかりまちがっても、「推薦するのは党のかって、立候補するのはじぶん」などといってはならないようです。あくまでも<託身>と<庇護>のもと、えづけされなければならない。いつの間にか、政治学から動物行動学に変わってしまっているんですね。(笑い) 政治家の劇場型パフォーマンスというのは、そういう意味なのでしょう。