朝5時00分 起床
金田湾の朝市に出かけようと早起きするも、リクエストした家人がおきられず中止、はりきって一人散歩へ、るん、るん。今週はウグイスが、ちゃんと、法、法華経と、唱えている。うう、三週間も美声になるまでかかっている~。かんしん、感心、な~んて・・・。世の中、みな、こう、歌声読経するように信心深いと、いいかも。(笑い)
でも、ま、ヤオヨロズでも、いいか。姿の見えない渡り鳥も、つーつく、つーつく啼いているし。
ってなわけで、スタスタと、山道を行く。
くもり、肌寒む。帰宅して書見。テレビを見ながらの流し読み。ウンパッパ、ルンパッパ人みたいな、そう、なんちゅうか、労働の楽しさとか、喜びとか、生きることの歓喜とか、そういうのどーやったら取り返せるか、頭の中で、楽園構想を練る、ひととき。
目の前に展開する箱の中に報じられた<現実>と、脳に映しだされる天国との乖離。この差こそ文明の尺度なのだろうかと、脳ミソが、勝手にぐるぐる回りだしましたんで、思考につづいて目も、首も、あわせて周りだしものですから、つい本棚に、ミヒャエル・エンデの自由の牢獄が、目についたものですから立ち上がって、手が伸び、パラパラ読む。
「ちょっと小さいのはたしかですが」。面白い。頭の中をめぐる回転木馬。イタリアには認定奇術師3万人、ニポンの、うすがた箱物の中では、道路特措法10年延長と来年一般財源化という奇妙奇天烈なマジックが展開していますね。どちらも奇術だね。さて、買い物へ。近くの公園で花見しているグループがいました。そうだ、思い出した。沖縄では、きょうは清明祭(シーミー)の入りだ。一族そろって墓庭で、祖霊とともに宴会だア。ということで詩人の菅原克己さんの一人げんげ忌をしよう。