朝5時00分 起床
気温華氏39度、3℃
富士山が真っ白に、くっきり。頂上に雲、空が青く澄んでいました。通勤途上に見える、いい景色です。気が晴れますね。(「笑い」)
しかし、笑っていられない。日本には、いろんな統計があるだろうけど、たとえば、こんなのはどうだろう。自殺者3万名、行路死亡人何名、凍死者400名、餓死者何名、無差別殺人被害者何名、というぐあいの統計。
(これらは、ばらばらに公表されているけど、一つ一つの負の統計を、総括的にまとめた統計発表はないからね)
社会を全体で見る<命の総生産高>というもの、そういうものがあったとしたら、どんな国であるかわかるのではないか。
そういう「命」から見た社会のほうが真の姿ではないか。(笑い)
統計は、さらに、職業別であげてみると、たとえば、自衛官、警察官の自殺、教員、公務員の自殺者、職業からくる病気療養者数、教員5000名(休職)という調査結果など。社会のあらゆる分野に及ぶようにする。
少子化対策もいいけれど、こういう「命の消費者庁」というのをつくって、ニポンの社会状態をみることも、いまや最重要課題の時期に来ているのではないか。派遣切りの総数は、ひとつの法律のもたらす<命の消費>をどれだけ生み出すか、そのうえで、もたらされる利益はいくらか。命の消費と比べると、その国の国民の「命の値段」がでてくるとかさ。
そうすると、「命の値段」がやすくなって軽るんじられて来ると、福祉医療費が、だんだんかさむとかさ。医療保険料の負担増は、じつは社会における命の軽さと比例しているとか、存在の軽さと比例しているとか、そんな国の姿が見えてくるんじゃないですか。