朝5時00分 起床
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そ、そうか、そーだったな、脳裏にふと、教育委員が、公選制だったころのことが、「思い出された」。もちろん沖縄でのこと。1972年に本土復帰するまで、つまり「琉球政府」時代、「ちょぼちょぼ」は、そのころまだ選挙権はなく、投票したことはなかったけれど、首長選挙とあわせて、周辺の大人たちは、たいへんにぎやかだった。
なんせ、自民党から、社大党、人民党員まで、いろんな人々が教育委員に当選していて、かんかんがくがく、子どもの教育を論じていた。現場の教師も、いきいき。
大人は、みな、根っこに、戦争被害の体験があったから政治上の主張は異なっていても、子どもの「命」は守るぞという共通の、普遍的な考えは一致していたと思う。子どもの命を脅かすことは、どんな政治状況であれ、みな大人の良識でかんかんがくがく議論して遠ざけられたし、怒りをもってことに対処していた、(と思う)ので、子どもはみな世の中の大人たちが立派に見えていた気がする。(笑い)
年寄りを敬い、大人を尊敬し、信頼を寄せるということは、子どもに取ってあたたかい布団にくるまれているような安心感がなければ生まれてこない。子どもが大人社会の宝物として、みんなで育てる、それが教育委員の公選制だろうと思うね。そういうこと機能しないような社会であっては少子化の中で子どもが歪んでくるのではないか。
しかも今日のような格差社会の中では、子どもが見る夢も、しぼんでくるだろう。裁判員制度も導入されたが、やはり、子どもの未来のために、教育委員の公選制も、導入すべきではないかと、ふと、思った。