朝5時00分 起床
気温華氏61度、摂氏16℃
台風一過、富士山も、くっきり。風は、ひんやり涼しい。
そ、そ、そーか、「運も実力のうち」っていいますけど、いい結果をもたらすように努力の上に努力を重ねた結果、それが、成果として、いい結果が、「自明のように現れる」、それが<運>というものなのでしょうね。
たぶん、<運>というのは、努力の結果、現れる、成果なのではないか。
つまり、幸運がふって来るにも、つかむのも、努力をしなければならない。<運>の尽きるのは、不断の努力を怠ること、それで、いい結果が得られないこと。
で、交響曲「運命」とは何か。(笑い)、歓喜。べートーベンの「運命」を聴くと、なんだか心が高揚するのは、励まされているからですかね。命をゆさぶって励ましてくる。
「運も実力のうち」っていう<運>は、「自明のように現れる」もの、いい結果も、悪い結果も。ただし「偶然」ではない。<命運>が尽きたとは、運が自明のように現れなくなったという意味。運命は、<命運>の中にある。<命運>は、命を活かしつづけて運ぶこと。運搬人は、努力と意志と肉体。<生>の目標が世俗的には<幸福>なら、それは<運>と同義だねきっと。
運勢のむかうところ幸福、しかし、幸福へむかって人を転落させていく勢いを社会はもつ。運命と社会との間にはユートピアの夢がまとわりつく。あれ?<運>を考えていくと政治につながるのかな?そういえば、どっかで「運命と性格」というエッセイを読んだ気がするな、だれ、だっけ。ポードレール?ノーヴァーリス・ いやいや、思い出した、ベンヤミンだ、かれはなぜ、「暴力批判論」の中にこのエッセイを入れたのだろう。
「運」が荒れてるな、カフカの「訴訟」(審判)によると、秘密にされた法が荒れだしている予感。
*参考資料、佐藤栄佐久プログ ttp://eisaku-sato.jp/blg/2009/10/