朝5時00分 起床
気温華氏37度、摂氏2℃
キング牧師の記念日、アメリカは休日ですね。あいかわらず、あっしは大忙し、先週から。ふ~っ。さて、お昼は何にしようか、牛丼?ん、ん、30年前の値段になってるな、280円。BSEなんて知らないでガツガツ食っていた時代があった。(笑い)思い出した、貧乏学生には、どんぶりものの、ごちそうだった。今風に言うと、高価な海鮮丼かな。
どんぶり物の牛の味は、うまかった。ハンバーガーとともに、アメリカの味がした。(笑い)外来の味が新鮮であった時代というか、新風が吹き込んでくる時代、そういえば逆に、JALは、何とかツアーといって、海外へ飛び立つツルであった時代だ、JALパックだっけ、農協のツアーだとか。
思い出した。
そういえば、1960年の国会前の安保闘争は、テレビでみていたな、小学生の目にはオトナってたいへんだな、と思ったものだ、山帰り<休暇でベトナムから帰還する兵士>の兵士たちが、コザの町、ネオンの下で大騒ぎしていたころだね。オイラは、まだ、小学生だし、コザ暴動が起きて数十台のYナンバーが焼かれたときは高校生だった、ベトナム戦争がアメリカの敗北でおわったとき沖縄の施政権返還があった、生まれたとき、53年の朝鮮戦争から、安保改定を経て、ことし50年、おいらが生きてきた歴史の背景だね。
振り返ってみると、時代が呼んでいる。(笑い)
傷ついた少年の繊細な美が壊れかけた時代つうか。
コザの町の時代、麻薬と酒と女と暴力に満ち溢れたアメリカ兵の時代、町にはビートルズ、ローリングストーンズ、アメリカンロックの音楽が満ち溢れていた。黒人街と、白人街が、きっちり色分けされていて、夜毎に繰り広げられるブラックパワーの気勢が耳の残っている。おいらは、高校生で、映画館のフィルムを運ぶアルバイトをやっていて、黒人街の映画館から白人街の映画館へ、飛び跳ねている間も、いくつものケンカ沙汰の中をかいくぐってアルバイトをやっていたなあ。
そうか、ケネディー大統領の暗殺も、キング牧師の暗殺も、コザの町で起きていたことの積み重ねの上での事件だったのか、ふと、今朝は、あの時代を思い出した。山帰りの黒人たちが繁華街で大荒れに荒れて獲物を捕らえるように白人に襲いかかるのは、戦場であるべトナムでは、かれら白人が後方にいたからで、最前線の恐ろしさを休暇の沖縄で再現して見せていたのだ。ああ、思い出してしまった。
安保改定から50年ね。・・・・・ふ~っ。