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朝5時00分 起床
気温華氏80度、摂氏26度、 戦後沖縄の新民謡に、嘉手苅林昌の「時代の流れ」というのがある。その歌詞の冒頭、嘆き節が印象的で、そこだけ敷衍して、いろんな場面で使われている。 歌詞は、 唐の世から大和ぬ世 (唐から日本に) 大和ぬ世からアメリカ世 (かと思えばアメリカに) ひるまさ変わたるくぬ沖縄 (恐ろしく変わってゆくこの沖縄) (♪「時代の流れ」冒頭) うつろい行く時代に翻弄されながら生きてきた沖縄庶民の感情を歴史の目で歌った歌だが、いまでは嘆き節のようになってしまっている、この歌も、もともとの根っこには、戦火の中を生き延びてきた沖縄人たちの「命の不思議さ」「生き延びていることへの驚き」が底流として流れている歌だった。そして哀調を帯びた嘉手苅の声に聴衆は、みな「命のありがたさ」「尊さ」が想起される歌だった。 歴史認識というのは、たぶん、客観な認識体系にあっても、それを声に聞かされた聴衆には、主観を揺るがす忘れがたい体験を思い出させる物語だった。たぶん。 いまの沖縄の体験を、この習いで言い換えると、 戦世の遺物から、東西冷戦へ 東西冷戦の落とし子から、抑止力へ ひるまさ変わたるくぬウチナー基地 米軍基地問題を、このように歌い替ええることが可能だろうと思う。ここにも、また、「命のありがたさ」が底流となって時代の流れに翻弄される庶民の嘆きの感情が延々と「生き延びていることへの驚き」となって流れていく。ヤマト人には、無い、いまもつづく歴史体験だと思う。 嘉手苅林昌「時代の流れ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 唐の世から大和ぬ世 (唐から日本に) 大和ぬ世からアメリカ世 (かと思えばアメリカに) ひるまさ変わたるくぬ沖縄 (恐ろしく変わってゆくこの沖縄) 昔ぇー 那覇ぬ行き戻い (昔、那覇への行き戻りは) 歩っちる 我達や行ちゃびたしが (歩いて私達は行ったものですが) 今や 居ちょうてぃ 行き戻い (今では(車内に)居るだけで行き戻り) 何やかひるまさ変わとーせ (何が変わったといいましたら) 女ぬ姿どぅ やいびんて (それは女性の姿でありましょう) 昔ぬ面影 むる無らん (昔の面影など全くありません) 昔ぇー 髪ぬ長さしど (昔は、長い髪こそが) 女の嗜みやいびーたる (女性の嗜みといえましたが) 今や昔とうち変わてぃ (今や時代も変わったもので) 生ーとる髪んうし詰みてぃ (伸ばした髪をカットして) パーマネントし毛ー縮らち (パーマをかけて縮らせて) まーん変わらん鳩ぬ巣 (その姿はまるで鳩の巣のよう) 踵高靴小や けー履まい (ハイヒールの靴など履いて) うんぶいこーぶい 歩っちゅしや (ひょこひょこ歩くその姿は) すっとん変わらん風吹ち鳥 (まるで風に吹かれた鳥のよう) タイトスカート けー着やい (タイトスカートなど穿いて) 膝やまぐらち 尻尖らち (膝まで捲って尻立てて) まーん変わらん七面鳥 (その姿はまるで七面鳥のよう) 昔ぇー 年寄と若さしと (昔、年寄りとそうでないものは) 着物ぬ模様しどぅ分かさびたる (着物の柄で判別できたものですが) 今や差し分き付きららん (今では見分けもつきません) 親子むるっ子 同年ん人 (親娘がまるで同い歳) 後から見んでぇ若さしがる (後ろから見れば 若いのに) 前から拝めー顔の皮ん (前から拝んだその顔は) うすまぐーいまぐとんでぬ (うっすらシワがあるようで) 六十バンジャど やみしぇさや (六十歳くらいには なられますか) (♪時代の流れ)
by higatatsuo
| 2010-07-18 06:02
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