朝7時30分 起床
よみがえる戦争の記憶、再放送、みにつまされる、膨大なプロパガンダ・フィルムの中に奇跡的に、のこっていた奇跡のフィルム、そこに戦争の真実の実態が写っていましたね。沖縄戦の未公開フィルムが600本ものこっているとか。その多くは戦争を正当化する宣伝用プロパガンダ・フィルムだそうですが、その中に、一巻だけ、戦争の悲惨な姿を写したフィルムが紛れ込んでいたという。
映像は、重症の兵士に止めをさす場面や、手榴弾自決した遺体とか、埋葬前の死者の山とか、おぞましい画像ばかり。それでも、よくもなあ、戦争犯罪の証拠写真ともなりうるフィルムが残っていたものです。
アメリカ公文書館で発見された、この一巻のフィルム、すごいね。戦場カメラマンとしての矜持ですよ、こまぎれに撮った写真だけを再編集した<痛恨のフィルム>だった。戦場カメラマンに、わずかに許された抵抗のあかしの結晶だった。
う~ん、すごいね、感心しますよ。
翻って考えると、敗走したニポン軍は何も、のこさなかった、すべて、廃棄した。廃棄の山の上に日本人の<旧軍>美化がある。この差がアメリカと、ニポンとの、国体の差。戦争の勝ち負けではない。
報道の自由は、だれかから保証され与えられるものだけでなく、姿勢でもあるのだろう。
ニポンの報道機関も、奇跡のフィルムが残せる、報道自由の国にならねばならない。まず「国が開かれる」とは、そういうことだね。明治に開かれ、第二次大戦後に開かれ、民主党によって、どう開かれるか。かんな音氏の演説の中に、そんな<国が開かれる>というイメージ・フレーズがあったような、どっかで聞いたような気がするのだが、はて?