朝5時00分 起床
気温華氏52度℃、摂氏11℃
きのうの天気予報で、東京湾のまわりだけ温かで、それ以外では朝晩の寒暖の差が大きい、だって。なるほど、よこすかではたしかに、ぽっかぽっかで小春日和がつづいていて、サクラの木も、ほぼ七割がた咲いて、なかには満開とみられる木もある。例年なら、いまごろサクラの木の下で宴会がつづく。
ことしは、詩人の故菅原克己さんの「げんげ忌」も、とりやめとなった。各地の公園管理者から、お花見観桜会の自粛がよびかけられたというニュースに、みな呼応したわけではないでしょうが、天災のおこった直後のこういう時節柄で、みな被災者の心痛を思んばかって自粛しているのだろう、きっと。
考えてみると、国民が「うかれる」ことができるという状況は、ハッピーな状態なのですね。世界の国々でそういう「ハッピーマインド」が消えている。All happiness is in the mind.
すべては心の中にある。
詩人が、亡くなってから、もう23年くらい経つのかな、「げんげ忌」も、ご無沙汰ばかりしているけど、はじめての中止は、なんだか寂しい。心の中では、追悼忌に参加してるつもりだったのに。
てなわけで、菅原克己氏、仙台出身の詩人の詩を引用しよう。<部分>
どんなに忍耐強く、
小さく、黙って、
人は生きてきたことだろう。
となりのおじさんは
こどもと二人ぐらしで、
勤めが終ると
こどものために市場で
魚や大根を買って帰る。
道で出会うと
大根を振りながら笑う。
ぼくが詩を書くのは
まさしく、
そのことが詩であるからであって、
詩が芸術であるからではない。
きのう、
さわやかな目覚めに
わが家に朝陽がさしているのを見た。
それから、
かみさんが野菜を切る音を聞いた。
ぼくはささいなことが好きだ。
くらしの中で
詩が静かに不意打ちのように
やってくるというのは
ほんとうだ。