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きのうの小沢衆議院議員の元秘書三名に対する判決、ちょーびっくりですね。第一印象、司法の劣化、三権分立のひとつ、立法も劣化しているけど、それ以上に司法が劣化していた、これは驚きですね。第一、被告人に無罪であることの立証を求めている。コペルニクス的転換ですよね。
検察も、これには、びっくりしたんじゃないですかね。だって、告訴して、調書はいらない、証拠もいらない、裁判官が推証できる、状況証拠だけでいい。そういう判決内容でしょう。
検察は、告訴権を独占しているから、これまでは立証責任が課されていた。それが立証できなくても、被告人が、やっていないということを自ら立証しなければならない。疑わしきはすべて犯罪者という、そういう内容でした。
きのう、「ちょぼちょぼ」が予感した、最悪の状態。
しかも、訴因変更を重ねた検察より、裁判官は、訴因にないものまで推認して罪科を課す。司法がこれじゃ、法治国家崩壊ですね。
なぜ、そうなってしまったか。司法と検察の馴れ合い、これがひとつ考えられますね。もうひとつ大事なことがある。裁判官の劣化。法の番人が、妄想を現実と錯覚し始めていること。そういうことが如実にあらわれた判決文だった。ストーリーを裁判官が創作しているのだね。だから訴因にないことも描き出していく。
で、その創作のネタは、たぶん、新聞記事。つまり、検察のリークする事件のあらましを裁判官がスクラップしてそれを資料に、検察官のストーリーに書き足している妄想原稿となっているのではないだろうか。これは、つまり、ストーリーの上書き、膨らまし、これを裁判官がやっているのではないか、モラルの崩壊というほかない。