朝5時00分 起床
気温華氏57度、摂氏13℃ 大雨
明け方から急な大雨、早出、「雨二モ負ケズ」ですね。・・・と。ここまで書いて、怒りがこみあげてきた。な、な、なんでだろう。
と、おもったら、そう、国営某HHKテレビ、さかんに、宮沢賢治の詩を引用して、東北被災地のこと流している。この詩によって励まされたという人を番組で紹介するとか。
これだ、おいらの怒りの原因は。
つまり、賢治の詩に、そっと励まされるというのは事実だとしても、これを番組で取り上げるというのには違和感があるわけね。
だって、東北の内陸部は、復興景気に沸いているというじゃない?
それに比べ、沿岸部は、いまだ仮設住宅で、悲しみと苦しみで、悲嘆にくれている状態。
そういう中で宮沢賢治の「雨二モ負ケズ」だろ。どういう詞か。
こんな詩だよ。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
仮設住宅の中で、冬の寒さにも、夏の暑さにも、我慢しろ、丈夫なからだを持て、欲の出るからわがままは言うな、いつも静かにしていろ 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て、あらゆることに自分を勘定にいれるな、つうわけ。
そして、仮設住宅で我慢して、「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ」「西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」「南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」そういうことが大事だ、つうわけ。つまり<絆>を強調したいわけさ。
なぜ、そいうことテレビでさかんに報道するかというと、やっぱ、内陸部の復興景気と、沿岸部の瓦礫の山との、格差が、そろそろ、沿岸部の人々にも、伝わってきたということなのだろう。
沿岸部の不満を、抒情の文学で押さえ込む、きわめてニポン的な手法、これが「霞ヶ関文学」の別な側面かもしれない。
なぜなら、当初から、メディアが繰り返していた、あの<絆>を再び、ここいきて強調するために、宮沢賢治の詩が登場したというわけ。