朝6時50分 起床
Yuo Tube見ながらインスタントコーヒー飲んで散歩、ウグイスが鳴くなか、うろうろ、ツバメが一羽、スーッと音もなく、飛んでいった。きのうにつづき、三笠公園では、カレーフェスティバル、人出がわんさか家族連れ。国道16号が混んで自動車がなかなか動かない。
もうすぐ「祖国復帰」40年、ソコクという言葉が輝いていた時代、小学校から中学生へかけての10年間、50年代後半から60年代半ばまで。ベトナム戦争の最中に復帰運動が高揚した。とうじは日の丸セットを学校で買い求めていたなあ、祝祭日には、各家庭で日の丸掲揚していた。
日の丸掲揚が、すなわち、施政権の返還をアメリカに求める直接的なアッピール行為だった。
ズケランの軍指令部には、大きな旗がひらめいていた。星条旗と国連旗、まわりの民家には日の丸の小さな小旗、そういう状況だった。国連旗を中心に星条旗と日の丸が左右にあがっている今日の掲揚台をみても、戦後はまだ終わってないという印象。敗戦統治国だった名残りにしか、ウチナンチューには見えない。アフガニスタンやイラクで、国連軍のマークをつけたトラックが映像に写るたびに沖縄と状況は同じだと思う。
復帰して、ウチナンチューには、新たに不思議な言葉が生まれた。
平和憲法と抑止力。ソコクというのは平和憲法のある国だった。
そこへ無条件返還される、そういう願いが復帰運動だった。
しかし、それは見事に裏切られた。平和憲法というものには抑止効果がなかった。
なかったという国がソコクだった。
抑止力というのは使い勝手のいい「魔法のことば」である、「備えあれば憂いなし」と同じ。大阪にも、黄金のコトバがある、「また支払いまっさ」、・・・金ができたら支払うね、という意味だが、支払う意思を示すだけで実際はいつのことだかわからない。
便利で、使いがってのある、いいことばだ。(笑い)言い換えると、にぽん国は、明確な理念や理想を<あいまいもこ>にする呪術と黄金の言説の国だったという仮説。
あれ、なんの話だっけ? つうわけで、「祖国復帰運動」は、おいらにとって幻滅をもたらした妄想運動であったというしだい。これを幻滅いぜんに、たてなおすことが40年目のあらたな運動なのであろうと地元紙を眺めている。うちなーんちゅには、歴史にとどく幻視がある。