朝4時40分起床
華氏47度、7℃、暖かい朝ですね。しかし、キリが出ています。太陽はまぶしいくらい。プロ野球のキャンプ・インのニュース、賑わしていますね。沖縄の北谷(ちゃたん)や宜野湾、名護、久米島、宮古島など、どの球団がどこに居るのか、わたしには覚えられませんが。去年、帰郷したとき宜野湾市のホテルに宿泊したのですが、そこには「横浜ベイスターズ」(だったかな?)がいて、午前中、グランドで練習、夕日が沈みかけるころ、また、グランドで練習、夜は、ホテルの駐車場で素振りや投球ホームのチェックなどやっていて、さすがにプロともなると、野球漬けだな、と感心しました。72年にアメリカから「施政権返還」がなされて、沖縄では急ピッチで復興作業が行われてきました。道路など、港湾など、27年間の異民族支配下での社会基盤の立遅れを取り戻そうと特別予算が組まれて投入されています。
振り返ると、この27年間におよぶ異民族支配下での沖縄経済は、米軍基地に依存した経済ばかりでした。そのため軍に雇用されて収入を得、米兵相手にサービス業を営み、異国情緒を売りにした観光を行い、アメリカがくしゃみすれば、オキナワが風邪をひくようなイビツナ主従関係でした。日本の平均収入300万円のころ、オキナワでは120万円、現在でも日本のサラリーマンの平均所得が500万円といわれるのに比べ、オキナワでは平均260万円という数字である。この所得格差をなくすためには、地元産業の育成が必要だし、企業の誘致が必要となる。しかし、土地がない。土地がないというのではなく、黙認耕作地として基地の中で野菜つくりをしなければならないほど土地は、米軍に接収されている。
この米軍基地の存在が、オキナワの産業発展を阻んできたことは明らかである。基地が人々の暮らしに経済的にも精神的にも、豊かさを、もたらさないというのを経験的に理解しているのがオキナワである。沖縄人は、27年間の経験で為政者の政治が、経済の動きを操作するということを知っています。異民族の支配下では、奴隷経済のような政策となるし、基盤整備も立ち遅れます。