内田氏のツイターから暗示的なおことば、(笑)
「改憲の目的は「善意の成長論者」からすると、統治システムの株式会社化=効率化なんだけど、彼ら「日本の株主」たちが「外部化」したがっている統治コストの引き受け先って、国民しかいないよ・・・」ね、
このツィート読んで、おいら、腑に落ちるものがあった。
振り返って考えてみる。
かつて、そしていまも、松下幸之助が私財をなげうって設立した政治家を育てる「塾」、あれ、あれ、あれを思い出した。
一昨年は、あれ出身の民主党政治家が政権についてあたらしい統治システムを構築しようとしたが「放り出して」しまったんだけど、その理由がわかった。それはひとことでいうと企業経営の経験がなかったこと。それにつきる。
自民党はその様子を見ていて息吹き返した、とどうじに、連合など組合が離れた。
衆議院選挙で大勝した自民党は、すぐさまこの結果を政権に反映した。
かれら自民党は、経済界の大手企業経営者をブレーンにして再度、チャレンジして見ることにしたのだ。おそらく旧内務省といわれる経済産業省が、すぐのこの自民党政権に飛びついたのではないか。その後のアベのミークスでは、デフレ脱却、日銀の掌握(これは財務省からはがして旧内務省下の統治下に半分はいった)わけ。そうすっと御輿は軽いほがいいわけで、白羽の矢は下痢三と揶揄されながら復帰を狙っていた、かつて一度は政権を放り出した再チャレンジのアベのミークス首相に白羽の矢がたったってわけ。そこにはギャングスタイルの麻生セメントの元社長もいたわけよ。
つまり、松下幸之助「塾」が統治システムとして完成できなかった株式会社化=効率化という政権の目標が横取りされたわけ。連合が、それにくっついていってるわけなのは、もはや、動労組合的な要素からではなく、組合官僚的な労使癒着からきているのではないか。
内田樹氏が、「国民国家の株式会社化」というとき、その担い手たちには、「皇居にお辞儀するのはバカ」「皇室は日本の役に立たない」(石原慎太郎)というようなことが起こるし、国歌斉唱時の起立義務づけをしながら、自分は斉唱拒否するということがおきる。なぜなら、統治コストのつけはすべて国民にまわし、自らを「日本の株主」たちの仲間にしないと「外部化」出来ないからだ。自分が内部化してしまったら株式会社の統治システムにならないからね。
したがって愛国を叫んでいるのは、あくまで内部化した、つけを払う側ってわけ。この定義でかんがえると右翼も左翼もありません、つけをはらう搾取される側と株主たち、しかも外部化された株主たちということだ、この国の未来はたぶん。