きょうは3.11東北震災から4年目、メデイアは特別番組を組んでお涙ちょうだいストーリーを展開している。4年目ともなれば、震災復興の状況を分析し、加速させるのが、追悼だと思うが、いっさい、そういうことに触れず、絆だとか、お涙チョーダイ、外国の友情、支援だとか、問題の本質はずしをやっているので、おいら、なんでそうなるか考えている、それで、思いついた。
結論から先に書く、【けつろん】宗教的な思考から来る限界だ~、いい面も、悪い面も、あるけど、欠陥の一つが、この国にはある。弱点。
つまり、ピラミッドの頂上を監視する、至高の絶対者がいない、だから、大きい事件や災害が発生すると、セキ二ン追及ができない。底辺に行けバ行くほど、責任の追求がなされるのと、おなじように、上辺に行けバ行くほどゆるくなっていく、しまいには、人間界で責任をとれる、存在がいなくなる。
無責任体制。
上辺はかぎりなく無責任で〇<権力(掃除大臣)>かぎりなく自己セキンで有罪
※注:<>の中は、批判者を掃除するのが仕事なので、総理ではなく掃除
国体の姿。
たとえば、キリスト教なら、絶対的な神がいる、その神の判断が、あらゆる人事を決するという、思考があるため、責任の所在が明らかになり、大審問がはじまる。ニポン人には、そーした「神」がいない。そのため天皇を神とすれば、戦争責任は、追及できない、原発事故の東電の代表も、裁けない、すべては八百万の神に、分散されていくだけ。憲法の規定を無視し、閣議決定で、改変することも、これのなせるわざだろう。すべては「人事」の中の「権力」で神のように賄われている、八百万の神は、うまく機能すると「衆議」となるが、機能しないと「不作為」を誘うことになり、そのうえにお山の大将が君臨する。君臨できるのは官僚の無責任体制が、国体となっているからだろう。
ニポンの国体とは、だれも責任をとらない、システム、つうことだろう。責任を取らされるのは底辺にむかって強くなるので、あたかも、法の番人者が、いるかのような錯覚をさせるが、上辺に行けば行くほど、法の番人はいなくなるという仕組み。八百万の神に規定されることがなければ、無宗教と同じ。法を見せかけに悪用して自分たちの権力をつくる、つくろうとする。
メルケルドイツ首相の演説を理解できないという内閣官房長官の思考の背景は、そういうこと。政治家として思考が止まっているよ、横浜市民。