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資料引用:ダンダム
見出し:44回忌 そ、そ、そーか、きょうは、あれから44年か、ちょうど、おいらが高校を卒業した年だ。おいらの進学した大学は、まだ新キャンパスをつくっていたので、おいらは、プレハブ校舎で授業を受けていた。 たしか最初に完成したビルは、研究者棟、 そして図書館だったかも。当時、1年生のオイラ、研究者棟にアサから入り浸っていた。遠藤研究室だ。このせんせー立命館大学で古代を研究した学者で教育者だった、沖縄には、わざわざ高校教員を辞めてきた。 南島の口承文芸の採集記録活動の立ち遅れにいち早く気づいたせんせーだった。 かれは立命館の国崎望久太郎せんせーに鍛えられた学者 南島に赴任したものの沖縄学共同体に邪険にされていた。 沖縄学のなかでも、南島の民俗(族)学の琉大に押されて、口承文芸は民族学の一分野扱いだった。古文献の研究は、たしか法政大だったはず。 大学で南島古文学の研究をするのに当って有志はいない。 (折口信夫系統の国学院出の先生はいたが)立命館の立命をかかえて一人かかんに研究意欲だけを燃やして大学にいたのだ。 そこにおいらが入学してきたわけだ。柳田國男を読め、折口を読め、古事記を読め、日本神話の研究を読めと、喫茶店をはしごしながら読書の手ほどきを受けた。それから沖国大口承文芸研究会を設立した。それからは、夏休み返上で、各地を調査した。大谷女子大学・立命館大古代研と、合同で、各地で、口承伝承の採集・取材・聞き書きを行った。 この昔話や伝説、また世間話の採集で、沖縄庶民の文学感(思想や歴史観)を知る。 そうしたら、どーも変だ。祖国復帰とあるが、ほんとに「祖国」なのか、もしかしたら沖縄の昔話の調査がすすむと柳田國男編集の『日本昔話名彙』の分類にあわなくなるのではないかと危惧されるようになったので、遠藤せんせーは、いちはやく、民族学に着目し、周辺諸国の口承伝承にまで採集の手を拡げ始めた。民族学者との交流が増え、海外口承文芸の研究者との交流がさかんになった。 とりわけ沖縄の伝承にはミャオ族に伝わる伝承の話型と一致することが多いことに着目する。 おいらは沖縄の島々を採集旅行しながら、ニポンと南洋に両目をむけていたカメレオン学生だった、おいらのカメレオン(アタクー)方言名にはたしかに南北の原住民との比較で、自分の視野の広がりを学生時代は考えていた。 おいらの沖縄バイバイは、沖縄学バイバイであると同時に、祖国復帰論の危うさからであった。ニポンにはいまでも二つの原住民がいると思っている。 一つはアイヌ、もう一つはリキジンだ。古く遡れば隼人も、そうかもしれない。かくして、きょうは、おいらの学問の手ほどきの44回忌だ。おいらが神話学に目を開かれたこともあるが。ヤマト民族の学問(古典)とは別の伝承が、この国の底流に見え始めていた。 今日の読み応え ttp://english.ryukyushimpo.jp/2016/05/12/25018/
by higatatsuo
| 2016-05-15 20:00
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