朝5時00分起床
ぬくい、爽やかな風の中に夏の予感がこもっていました。今朝の気温華氏61度、16℃、西風でしたね。しかし、8時には、もう、額に汗するほど、気温上昇、なんと19℃ですよ。真夏の勢いじゃないですか。じっとり汗ばんでいます。今朝の東京湾は、大型船が目立っています。コンテナ船、GPガスタンク船、貨物運搬船など。風まわりが南西に変わっています。小笠原のほうには、早くも台風接近のようですね。
夕べは、「転換の書 メ・テイ」の、ものごとは大雑把に、を読みました。うん、その通り、思わず手を叩いてしまいました。生起するすべての事柄を不可欠のものとして捉えるためには、綿密に複雑に計画しても、ダメなんですね。起こることをそれぞれに応じて対応することが肝心で、それが大雑把な思考に方向性を与えたり、大雑把なことがいくつもの小雑把にまとまってくるんですね。そして、それぞれにネットワークが生まれてくる。このネットワークを築くために、<それにはある種のおおづかみな思考が必要である。複雑さへの怖れが、おおくのひとを麻痒させる。>ことを、回避しなけばなりません。そんな風に読めました。
ところで去年だったか、二三年前でしたか、<複雑系>というコトバが流行しました。わたしは、そこで、どんなことが論じられているか、いまだ知りませんので、今日は、ちょっと調べてみることにしました。
メ・ティ氏が説く、ものいいを、単純化の志向というわたしの理解の仕方は、ちょっと誤解があるかもしれません。真意は、<複雑なもつれを恐れず>理解するということです。その上で、必須なもの、原理的なものを、だれもが理解可能の状態に置き換える、という意味です。単純系といいましょうか。そういう無謀なことを、可能にする、いわば、複雑を恐れずに、その中の原理を見出そうという姿勢のようですね。この姿勢の中には、互いに関連しあう磁場の発生があったり、磁場と磁場との、あらたな大きな磁場が出てきたりして、もともとの価値とはちがった何かが新しい価値として生まれてくるのかもしれません。運動体なんですね。