資料引用:テキトー
見出し:おいらが文学賞? 冗談かと思った
エージェントから「あなたが受賞した」といわれたとき、フェイクニュースだとおもった。と、カズオ・イシグロ氏。おいら
日の名残り、とか、わたしを離さないで、とか、本買って、よんだなあ。
「日常の中にある悲しみ」「もののあわれ」あれ、イギリス人じゃないよね。日の名残り、なんか、イギリスっぽく書いているけど、ちょっと、ちがう。そうかといって二ポン文学かぁつーと違う。記憶の文学だとおもうけど。夢の文学と、言えるのかもしれない。インタビューで、「日本語を話す両親の目を通して文化をみていましたので、自分の一部は、日本人です」という。
おいら、これって、リップサービスだと思うよ。
だって、いくら五歳まで長崎で育ったといっても、家庭での両親は英語で会話し、日本語をつかう機会がまったくないまま育っている。学校で文学をべんきょうしはじめて、イギリスの伝統文化に気が付き、そして、日本文化に方法をさぐった、そしてめざめたというのがじっさいではないだろうか。
彼の端正な文章を読むとそう思う。
なぜなら彼の作品は「私小説」の伝統を汲む文体だからだ。イギリス文学の「私小説」である。
これは画家の北斎と、フランス絵画とのカンケ―に似ている。
有名なので言うと富士山と白波、その遠近法は、西洋絵画に取り入れられ今日では当たり前になっている。もしかすると、カズオ・イシグロ氏の文学は、新しい世界文学の地平を開くかもしれない。