朝5時00分起床
土砂降りの雨の中、出勤。会社ついたら雲もきれて、カーッとギラギラの太陽が照りつけています。カミュの太陽賛歌でしたっけ。狂った気分が溢泌しますね。わたしは、ただただ自然のまえにひれ伏して、じっとうなだれてしまうばかりです。
気温華氏73度、22℃。明け方の雨の中、息苦しい夏草の香りが漂っていました。夕べは「転換の書 メ・ティ」から、<なすべき残りのこと>を読みました。短いので、引用しますと、
介入する思想家であるカー・メーが亡くなったとき、かれがたたかった強盗どもの
権力はまだ発展過程にあった。かれの敵の最盛の時期はまだ目前にあった。
いいですね、かれは「介入する思想家」ですよね。・・・・カ・メー先生(マルクス)は・・・かれは強盗どもとたたかったんですもんね。しかし、その強盗どもの権力は発展過程にあって、いまだに最盛期にはいたっていない。死して、なお、百年たって。
<資本主義の精神原理>を一義的に定義して、そこからその細部の事象を訴求的に追っかけていればいつまでも、その最盛期に到着しないし、発展過程も見えない、・・・と、メ・ティ先生は、ここでは暗に示しているんだろうとおもいますね。死して、なお、百年たって。・・・百年も、一義的な定義から朔及していたんじゃ、あやつる権力はつかみどころがない。なぜか。<欲望>の形態だからだね。メ・ティ氏の云う、「介入する思想家」というのは、<歴史>に介入するのであって「強盗ども」に警察のように介入したんじゃない。・・・・そんなことを考えていました。じゃ、どう、かかわろうと介入する思想家なのか。資本主義の精神原理を、歴史的連関の中で有効的に機能しているような局面をひとつひとつ取り出して、概念的に、歴史連関で把握していっての「介入」だという原点にもどること、なのかもしれません。