朝5時00分 起床
気温華氏37度、3℃、真っ白な富士山がくっきり、西の空に見えています。東京湾のほうは、対岸の房総半島のこまかなビルデイングまで。家並みまで。海には、漁船と作業船。
空は、くものない青空と、東の遠くに発達した積雲みたいな黒い雲があります。朝日は、そこに隠れていますね。しかし明るくなるにしたがって北から東、つまり房総半島のはるかかなたの空が、真っ黒くなっています。厚い雪雲のような空に染まっていっていますね。
さて、今朝のニュースを見ても、明るい話題はありませんね。ちょっと、腹が立っているのは、教員免状の更新制、医師免許の更新制、そんな話題ですね。<更新>の基準は、なんなのか、それが不明でしょ。運転免許なら、交通法規、実技、違反罰則が勘案されて<更新>となるわけですが、教員免状は、遵法、実技、違反罰則ということでしょうか。医師免許も、遵法、実技、違反罰則ということでしょうか。
なんか変ですね。運転免許証に、F1レーサーなみの運転技術はいらないでしょう。しかし<子どもに教える>ということ、<医療行為>には、それぞれ深い認識に裏打ちされた技術的な「深度」があるわけでしょう。そのことを抜きにして、一律に、遵法、実技、違反罰則といったって、これでは<形式的>ですよね。自動車免許のように<あとは自己責任で運転してください>という更新ですかね。
ほんとに必要なのは、更新制という、なかみの形骸化するであろうことよりも、高度な教育技術、高度な医療技術をどうやって身につけさせるか、でしょ。管理監督の強化だけが、しつの向上となるというのは、製造業における製品のはなしであって、そんなの大量生産の発想じゃないですか。人間の持っている能力や技術は、たえず認識を広げることで向上するわけで、免許更新の査定でそこまでやるとなれば、更新じゃなく、<能力試験>でしょ。ー級船舶免許、二級船舶免許みたいに、いろんなオペレーションの能力で決まってくるようにすべきです。
そう考えてくると、教員免状の更新制、医師免許の更新制というのは、実際にはあまり有効なものでなく、官僚の権限を強化したい、天下り先を広げたいという程度の私利私欲のはなしでしょうね。それを制度といいかえているにすぎない。建築確認の偽装問題で明らかになったように制度的な設計ミスを、血税をつかって、むだづかいしようというのと同じですね。