朝5時00分 起床
気温華氏49度、9℃、いい天気ですね。職場の前の東京湾は、波おだやか。大型貨物船が見当たらず、中型のタンカー船が一隻、朝もやの中を航行しています。水面にキラキラ光る波間を漁船が数多く見えています。
加齢なんですかね。変な夢ばかり見ますね。昨夜は、自分が荼毘にふされる夢を見ましたよ。それも立ち会っているのが自分なのだから摩訶不思議といいましょうか。夢の内容は、ゴルゴダの丘に登っていくキリストのように、自分の足で処刑場に歩いていくというかんじ。
十字架じゃなく、胸にダンボールかなんか抱いちゃって、さっさと歩いて、ビルの4階へ上っていく。エレベータに乗ったり、廊下を歩いたりして、四階へいく、その様子をみている人々が、異様な目をして、恐れおののき後ずさりする中、とうとう四階に設置されたレンガつくりの登り窯みたいな火葬場へ到着する。自分からキャスター付の寝台に寝るのだが、どういうわけか、夢の中では、まだ肉体の中に、ぼくはいて、生きている。
死んだ人がカマに入るのだから、まだ業火の中に入るわけに行かない。そこで、どうしたら肉体と霊が分離できるか。つまり<死>の状態となれるか。悩む。死んで肉体を荼毘にふするのですが、まだ目は見えるし、耳は聞こえるし、心臓は鼓動しているし、肺は呼吸している。これらが止まらなければ死じゃない。そこで絞首刑を受けた、薬殺刑を受けたなど、夢はぐるぐる死の執行の場面となる。
めでたく、?死んだ肉体を見ている自分がいて、そこで、棺に寝かして、蓋を閉め、釘を打って、自分で、釜の中に、その棺を押し入れる。あとは、ボーっという炎のボイラー音ばかりが聞こえてくる。夢はそこで完遂して、めでたく、目が覚める。恐怖も、おののきもなく、体調万全に、めでたく、軽やかに、目が覚めた感じで、爽快感、いっぱいだった。そう、目が覚めた感じがして、二階の窓から外を眺めると、一人の見知らぬ人が、訪問してくる。誰だか知らないが、さどうぞ、どうぞ、お茶でも飲みましょうと、詩のはなしをする。来訪者と喜んでいると、そこで5時のアラームが鳴って目が覚めた。ほんとに、身も心も軽やかな朝だったよ、今朝は。なにか憑き物が落ちたかんじがする。