朝4時40分起床、
きょうは緊急工事があって、出社です。しかし、いい天気でね。暦では「霜降」だそうですね。どうりで、冬を予感させる肌寒さっていうかんじでパーキングまで歩きましたよ。
朝日が出ると、ポッカポッカで、陽だまりがここちいいです。風があるので東京湾は少し波立っていますが、きょうもクレーン作業船、貨物船が多いですね。・・・このごろ左の肩にしこりのような痛みがあり、ときどき腕をぐるぐる回しています。五十肩でしょうか。肘を宙に突き上げるようにすると、間接がゴキッと音がして、保護してつつんでいる筋肉(すじ)に鈍痛がはしりますね。・・・これは油さし運動が足りないのでしょうか。NHKラジオ体操まねた、もどき体操でもはじめましょうかね。
緊急工事が午前中で終了して昼メシ喰いました。午後も予定していたので、なんだか儲かったような感じですね。現代社会では、この「儲かった」という感じが突出して人を動かしますね。「得した感じ」とか、「ためになった感じ」とか、欲望に突き動かされた「感動」で動く。わたしもその例に漏れるものではありませんが、ただ、・・・少し、わたしの中には、そういう自分の動き方に「いやだなあ」と反発する心情が残っています。なぜ、自分の中に残っているのか。たぶん、欲望の擬態としての「感動」と、わたしの中にある経験の蓄積としての「欲望」がミスマッチするのだろうと想います。このずれを社会とした場合、どんな言葉と論理と身体感覚とで、わたしたちは「折り合い」をつけながら生きているのだろうか。
この生きている個々の回路の交差こそ、現代の<物語>構造をなすのではないか。逆にいうと回路と回路とをむすぶ<他者>の水路こそ物語の鉱脈ではないのだろうか。その水路を流れているのは、ラスコーリ二コフの「耐え難いほどの苛立ち」を伴っているのではないか。頭のしこりを、いち、に、さん、し・・・と、ほぐす柔軟体操もどきが、五十肩を治す方法かも知れない。