朝5時00分 起床
気温華氏53度、13℃、ほんとは、明日、沖縄の「祖国復帰35周年」で書いておこうと思っていたのですが、今日、参議院で憲法改正の投票法案が可決されるということで、急遽、書いておこうと思い立ちました。
ことしは、沖縄の本土復帰35周年です。きのう嘉手納基地を包囲する人間の鎖が出来て<反戦の思い>が一つにまとまりましたが、これに参加できなかったことを悔しく思っています。「ちょぼちょぼ人間」は、日米通商条約の批准書の交換を目的に渡米した威臨丸の出航地でのフェスチバルに行っていたのですが、会場から、遠い南の空を眺めながら、人と人の手で、基地を包囲せよ、そう願っていました。
昔、黒船来航で開国をせまられたニポンでしたが、憲法改正にむけた国民投票法案も、もともとは湾岸戦争時のアメリカの国務長官が、<フラッグを見せろ>という一言により、海外派兵のできる国づくりということで、自主憲法制定の動きと連動して、改正の動きが急激に始まった気がします。
ま、言い換えれば、現代のペリー提督が、アーミテージ国務副長官、(・・でしたっけ。?たしか駐米大使を通じて、そういったとか・・)
彼の一言で湾岸戦争に<日の丸をつけた軍艦・兵士を出す代わり>にアメリカに90億ドルを拠出しました。つづいてアフガン戦争。そしてイラク戦争へと、アメリカの戦争はつづき、そのたびに資金だけでなく、自衛隊の派遣をしようという自民党政治家の対米追従・属国化の動きが取りざたされ、とうとう自衛隊員を派遣しました。あわせて拠出金も膨れ上がるばかり。
自衛隊員の派遣経費のほかに、300億ドルくらいアメリカに資金提供しているといわれていますね。燃料の補給など加えたら膨大な費用負担があるだろうと思います。
こういった軍事的な動きは、平成の開国ですよね。かつての通商条約から、軍事同盟へ。
ペリー提督の開国要求から、またしてもアメリカの一言でしたね。
さて、アメリカの要求をのんで憲法改正に踏み切ろうとする国民投票法案が、きょう、参議院本会議で可決されましたが、考えてみれば、アメリカの<頚木呪縛>から逃れられないニポン国であることが、明らかになってしまいましたね。
35年前、沖縄の人々は、<本土の沖縄化>が進められるとして、すでにこの事態を想定していました。第二次大戦後、27年間もアメリカに統治され、軍政下で、植民地暮らしをしてきましたが、ニポンの国がそういう事態に陥ろうとしています。いまさらながら思うのですが、沖縄の復帰運動の合言葉は、<戦争のない、平和憲法の下に帰ろう>というものでした。あれから35年が過ぎて、なおも、そのスローガンが生き続けていることに驚きます。