朝5時00分 起床
気温華氏71度、21℃、くもり、東京湾は、自動車運搬船が一隻、湾口から入ってきますね。日が高くなるにつれ蒸し蒸し、と、いっても、もう八月ですよ。早い。
時間のながれが早く感じますね。なぜ、時間は早くなったり遅く感じたりするのだろう。物理的には不変だとおもうが。不思議。脳とカンケーあるのかな。シロートが考えるに、脳の中の神経シナプスの結びつきの速度とかんけいしている。定義を考えると、頭の回転が速い時期は、時間の速度は遅く感じる。それはシナプスのネットワークつくりが時間より早いから。
この神経ネットワークつくりが遅くなりだすと、きっと物理的な時間が早く感じる、ここまではきっと生命力の問題に比例している。つまり言い換えると、若いうちは時間をもてあまし、加齢とともに時間が足りなくなる。生命現象がそうなっているのだろう。
ところが楽しい時間は、時間が早く経つ、苦しかったり忍耐を強いられるときは時間の経過が急速に遅くなる、と感じる。快不快が作用する。ドーパミンの出具合がコントロールしていると見られる現象が出てくる。そこで時間論は、あくまで生命科学の課題の一つである、という見方が可能となる、と思うのである。だって頭の中に時間があって、そこから逆算されて生命現象がしばられるというのは、ちょっと考えにくい、また、体内時計の8つのうちのどれかが関係しているというのも考えにくい、むしろ頭の中に時間の仮想ホルダーがつくられて、そこに蓄積された時間から再度時間を見直すということで、これは認識論の別問題に属すること。あくまで時間は、茂木健一郎氏の言う<脳のクオリア>なのかもしれない。
そうすると、空間は?
これは、いうまでもなく神経ネットワークそのもののこと。頭の中の空間が、そのまま現実の世界で仮想空間となっているだけ。公共性とか、協同体とか、国家とか、現実の空間は命を生かすための仕組みにしかすぎない。命は、そうすることで物理的に長くなる。ま、育つというか。
ま、「ちょぼちょぼ」の勝手な空想の仮説ですが。(笑い) 整理すると、人間は社会的存在である。というよりも、「トリストラム、シャンデー」である。(笑い) だって、そこに育つものときたら・・・。ふ、ふ、ふ、ふ。安倍首相みたいな人や、安倍内閣の大臣みたいな人がいっぱい出てくる。(笑い)