朝5時00分 起床
気温華氏79度、25℃、風があって、ちょっと涼しいけど、太陽はやっぱギラギラ、蒸し暑い。きょうは、終戦の日ですね。戦争の話は、ことあるごと、祖父にきいていたので、なんだか第二次大戦の戦闘を見てきたような思いが蘇る日でありますね。
こういうの既視感というのでしょうかね。
こどものころ裏山で遊んでいたところ錆びた鉄兜や錆びた短刀や飯ごうなどが、ごろごろ転がっていましたから、戦争はすぐ前に過ぎ去った現実のような気がしていたものです。畑しごとのとき、パイナップル型の手榴弾が出てきたのは、米軍弾薬庫の横の黙認耕作地の畑だったし、兄が(長男)が、離れ家を建てるとき、基礎堀の穴の中から不発弾が出てきたこともあります。父は、この不発弾が出てきたとき、警察に処理をお願いしたのですが、警察は<拾得物>で届け出たら<受理する>といわれ、さて、どーやって掘り出して警察署までもって行くか、大工さんたちをふくめて皆で知恵を絞っているところへ、畑から帰ってきた祖父が事情を聞いて、彼は、こういったものです。
「こういう仕事は若いもののやる仕事じゃない。年寄りがやるものだから、わしが掘り出して警察まで持って行こう」
そういって、父はじめみなに退避するよう言ってから、彼は鍬でほりだし、荷担ぎ(オーダー)に入れて、10kさきの警察署まで、自分で届けたことがあります。いまなら自衛隊の専門処理班が来るのでしょうが、当時はまだ、アメリカの施政権下の沖縄ですし、琉球警察にそういう爆弾処理班はなかったのかもしれませんね。
戦争の名残りが、生活の中に、まざまざと残っている子供時代を「ちょぼちょぼ」はすごして来ていますから、祖父が「これは若い衆のしごとじゃない」と言ったとき、祖父の命に対する奥深い慈しみの考えを知りました。6月23日になると、毎年、敬虔な気持ちになる「ちょぼちょぼ人間」ですが、8月15日も、また、気持ちをあらたに引き締める<記憶の日>なのです。メモリアルデーですから内外諸国問わず多くの人々の記憶と重なる日ですね。
ま、命の尊さを再確認する日、