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あいかわらず小沢辞任をめぐっての根も葉もないマスコミの報道が続いていますね。
ふ~っ。
ま、この一連の騒動、福田・小沢会談をめぐっての騒ぎから考えるきっかけがあるとすれば、<大連立>という<第三の道>の発想が、どこから由来してきたものなのか、根底をめぐる考察が必要のようですね。
これは、もしかして根本的な状況分析が重要、ということですね。
自民党が単独政権をつくれなくなったということは、民主党も、単独では、政権が維持できないという可能性が、予測されますね。政策上の<力不足>(小沢弁)でなく、むしろ、もっと根本的なものがあるのだろうね。
世間では、二大政党制といいながら、じっさいは、単独政権は成り立たなくなってきている。自民党の失政だけでなく、おそらく、民主党に政権チェンジしても、長続きしない、まるでドイツでおきているような、それぞれの政党が単独では過半数を制しえない、状況。ニポンでは、いま、その過度期に突き当たっているから<ねじれ>などと認識されているが、これまでの戦後の一党支配の永続性を基礎に考えているから<ねじれ>にみえるだけ。
根本的には、連立という、第三の道でしか、政策実現できない、そんな政治状況に突入したのではないかなあ。そのため政党間の政策対立点を<鮮明>にすると同時に、<目的>の明確化が必要になってくる、そういう動き。マニフェストは、個別それぞれにおいて国民に選択されるので、これは民主党、これは自民党、これは共産党、という具合にわかれて、政党を選ぶのではなく、政党の出す個別政策が選択されていくのではないか。
まさに、ドイツの<連立>がそういうものになっている。なぜ、ドイツで、そういうふうになったかということを推測すると、<カイカク>が、国民に<負担>を押し付けるものだということがはっきりして、有権者が<うんざり>しはじめたところでおきている。それに小選挙区制度が、そういう有権者の雰囲気を助長するシステムに反転したことである。
この間の一連の動きから政権選択の洗礼をうけたのは郵政カイカクであり、ほんとは次の重要法案で民意を問うという、そういう流れになってくるのだろうと思う。いまの状況をシロート的に分析すると、民主党の単独政権ということは、ありえても、長続きしない。むしろ、単独政権をつくるにいたらない政策協定の<連立>もしくは、大政党の<大連立>というような、政策管理型の議会構成になるのではないか。これもまた民主主義の別の側面なのであろうと思う。