朝5時00分 起床
気温華氏27度、マイナス3℃、う、う、う、風もないのに、チョー寒い。この冬一番の「低温熟成域」温度ですね。(笑い)
または、「氷温」冷凍温度域とか、そういう、そうですね。
この低温域のマイナス3-4℃付近は、食品が凍る前に自己防御に生理水をだす、熟成域だそうです。この温度で保存したら味がよくなるとか。人間も、味が良くなるのかな。(笑い)
人間とえば、政府は、20歳から、18歳に成人年齢を引き下げようと、検討始めたようですね。人間の熟成時期を見定めることを検討しているようですが。はて。
なぜ、はたちだったのか。
20才というのは、たぶん兵役に徴兵される年だったわけでしょう。それを人生儀礼とくっつけて制度化した。それが、たぶん、明治のころ。
そのまえ、江戸時代、人生儀礼での成人は12才じゃなかったかしら。平安朝時代からつづく、<元服>の年齢、そいうもの。歴史的に見ると、むかしのほうが、成熟は早かったのか。それとも、大人と認める側の、大人の成熟度が勝っていたのか。子供を、小さな大人として自分たちの仲間と同等に扱うというその迎え入れかたが、整っていたのか。
つまり、たぶん、人生儀礼のメリハリが<うつわ>として明確に制度化されて機能していたから12才でも、立派に元服して、<小さな大人>として認められた。
その点でいうと、20才から18才にひきさげられても、社会が、そういう機能を保持しているのなら、ぜんぜん、問題ありませんね。平安時代だって、江戸時代だって、できたのだから、高度文明化した現代社会が、できないわけないでしょ。・・・と、おもったら、う~ん、こどもたちが可哀想、な、気がしだした。だって、現代の「こども」たちは、大人になること「拒否」しているというか、留保しているというか、できれば、いつまでも、子供でいたいと、願っているわけでしょ。
それをむりやり、早めたら、どーなる。
おまえら、早く大人になって、生産活動を開始しろといわれても、<小さな大人>の期間がなくなるだけではないか。だって、受け入れる制度的<うつわ>といえば、思いつくのは、軍隊しかないわけでしょう。元服は、長い人生儀礼のおりおりに向かっていく、初めの入り口<小さな大人>への入り口だった。それは誕生から、葬式、墓場までつづく、長い長い共同体の儀礼の中の一つの通過点でしかなかった。はい、そこのあなた、今日から、あなたは大人です、では、これからは一人でがんばってね、と、放り出す年齢ではなかったとおもうね。
マイナス3℃、近辺。熱いこころを溶かす、いいころあいの温度域は、人間社会にも、必要かもしれませんね。(笑い)・・・だから、年齢を設定するだけの問題じゃないとおもう。「熟度」という問題でもなさそう。