朝5時00分 起床
柳田国男の昔話研究に、本格昔話っていう分類があります。
本日は、語り部となって、昔話を語りましょう。
むかし、むかし、36年前まで沖縄島で「祖国復帰運動」というのがあったとサ。どこへ復帰したかというとニポン国であるわけ。そこを<祖国>として、27年間にも及ぶ米軍統治から、その島の人々は解放されたわけね。
きょうは、その悦ばしい解放記念日にあたるそうじゃが、お祝いなど、ない、わけだ。(笑い)
33回忌をすぎると、仏壇に手を合わす人も、思い出を語る人もいなくなるのと同じだね。
古いはなしだからね。
で、記憶をたどっての昔語りっていうわけ。
1972年以前は、つまり、沖縄は、長いアメリカ軍政下にあった。
27年間、長いね。その間、「祖国復帰運動」というのが盛んで、沖縄の人々は、夢見ていたわけだ。祖国への<復帰>。それが県民ぐるみの大きな運動になっていた。
この運動には、先に<夢見ていた>といったように、ほんとはアメリカ統治からの<無条件解放>という強い県民の願望が含まれていたんだよね。
だから、希望の運動であったわけ。
県民悲願の。願望。
そういう運動。
ところが「復帰」の蓋を開けてみれば、基地は、そのまま、施政権だけニポン国へ移ったものだから<解放>じゃなく、ありゃ、こりゃ、なんじゃ、毒ガスと、核爆弾をグアムに撤去しただけじゃないか、というわけで、<本土の沖縄化>復帰だ、なんて、県民の意図と願いとは逆の<状況悪化>になることが懸念される、と、ピンときたわけね、(笑い) 案の定、この復帰をめぐっての政府間の密約というものまで出てきて、マスコミをにぎわし、そのご、思いやり予算というのがつくられ、どんどん、それがアメリカの基地に投入されて増えていきました、とサ。
基地は、減るどころか、再編強化されて、いくだけ、でなく、日本が、施政権統治されていくような気配。そうなることが懸念される、と、ピンとくる、きょうこのごろ。とっぴんしゃんのぱらりんのぷう。
おお、定型で結べたね。(笑い)