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朝5時00分 起床
今朝も、ウグイスの鳴き声、いまだ正調ならず、ホーでおわったり、ぴょぴょであったり、ホーぴょよよ、であったり。きれいに、法、法華経とは、いきませんね。昔の人は、なぜ、信心深く、正調に聞こえたのだろうか。(笑い) ピー、ぴゅいぴゅいぴゅいぴー、ぴゅっぴゅぴゅと、長鳴きする野鳥が、ウグイスに花を添えています。世界は、命の音だらけ。新芽、新緑、萌え出る若葉。 世界は、命で、常に更新されています。 さっこんの食の問題は、命の更新問題ですよね。鳥インフルエンザも、BSEも、毒入りギョーザも。偽装も。つきつめれば、みな<命>とつながります。世界は、命で、常に更新されていますから、反応が、敏感になるのでしょう。 で、さっこんの医療は、なんだろうと、こちらも<命>の更新問題から考えてみますと、 まず、産婦人科医の減少。 オギャー、つう、新生児の産声、それの聞こえる病院が少なくなりました。 病院で子どもを産むという、そういうことが危機に瀕しています。 つぎに、終末医療。 命の延命に、金がかかりすぎるということで、後期高齢者保険が導入されました。 延命治療をのぞむ家族の願いが医療費の増大をまねいて、これも保険制度が危機に瀕しているということで追加された制度のようです。 <命>の更新問題という課題で世界を考えますと、同じ医療でも、誕生にかかわることと、死にかかわる医療とでは、ほんとは、別々でなく、同一のこと、として考えたほうがいいのではないでしょうか。キーワードは、<畳の上では死ねない、自宅では産めない>。そういうキーワード。自宅で家族に見守られて穏やかに今生の別れをしても警察がくるし、遺体を病院に運ばなければならないし、自宅で出産しようにも専門的な介添者はいないし、出産後、病院でチェックを受けなければならない。 医者の署名は、なんのためにあるのか。それがよくわからないので、みな、病院のベッドで死を迎えるということになります。死者の78%が病院のベッドだそうですし、出産の99%は産婦人科医院だそうです。で、死亡でも、誕生でも、すべて医者の確認がいるというのが共通したことですが、問題は、何のために<医者の「医学的」確認>が必要かということですね。赤ちゃんの健康確認は、健やかな命を育むということで分かりますが、死亡は、何のために<医者の「医学的」確認>が必要ですか、ということです。火葬のための死亡確認なら医療行為ではないのではないか。人の死は、警察にとっては<事件>ですが、医者にとっての<事件>は、医学的確認でしょう。それを専門的な見地から行なうというのであれば、解剖による死因特定が必要でしょうけど、実際は、心臓の脈拍と、ひとみを見るだけ。つまり、死因不明の<死>を認定しているばかりではないですかね。 生きている時は、格差社会で、格差であっても、人みなに共通しているのが死因不明の死亡認定社会であるということではないか、と。命の更新ということが見えていない制度だなあ、と思う朝。
by higatatsuo
| 2008-06-06 05:33
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