朝5時00分 起床
気温華氏59度、摂氏15℃
今朝、あわただしい出勤前、コーヒーを飲みながらテレビを見ていましたら、あの人に会いたい、というリバイバルの番組をやっていました。出演は、1999年になくなった埴谷雄高氏、どこか、なつかしいお顔を見たなって感じで、おもわず、見入ってしまいました。
未完成に終わった「死霊」をめぐる製作秘話ですが、未来に向けてかいているのだというコトバは、やっぱ詩人の言葉でしたね。それが面白く、ついつい、じっくり腰をすえて見てしまいました。
台湾うまれの埴谷が、少年時代にみたもの、ニポン人が多くの人を殺し、多くのニポン人が殺されたこと、失ったこと、そういう無数の死者の歴史の上に、われわれが生きていて、かれらが発信する思いを生きているいまのわれわれが受け取り、まだ見ぬ、未来の人へ送り届ける、この精神のリレーが「死霊」のテーマだと繰り返し言っていましたね。
埴谷の大作、「死霊」とは、精神の自由のことかと思いましたよ。なるほどね。作品を完成しないで寿命のつきた作家ですが、その精神は、いまだ<自由自在>に思考の壁を超えて羽ばたいているようだ。そんなこと思いながら出勤、カラスが、かあ~、かあ~、けっこう騒いでいましたね。埴谷が「死霊」の連載をはじめた「近代文学」には、いろんな作家が集っていたんですね。眼底にのこったセピア色の写真にうつった作家たちの顔を思い出しながらの出勤となりました。
精神のリレー、証券化バブルと、その崩壊の中で常に賭博的に精神をリセットしつづけてきた、われわれですが、その言葉の通低音は重いなと、いまさらながらおもう、はて、さて、