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ノーベル賞の受賞者が物理の3名につづいて、科学でも1名、いっきに4名の受賞のようです。メデタイ朗報ですね。テレビでは、不景気なおりの明るいニュースと報じていますが、「ちょぼちょぼ」は、憂いがさきに立ちますね。(辞任した中山元大臣のような人がいるからね)
なぜ、憂いか。その背景を根っこから考えてみました。
というのは、今回の受賞者は、1960年代の研究実績に基づくものです。
当時は、週刊誌でも話題になりましたが、<知の流出>といって、多くの研究者の海外流出が話題になった時期です。思い出すと、とうじ、たしか、研究の自由がニポンにはない、というようなことがよく言われていました。研究制度の封建的システム、研究費用の不平等、学術界の閉鎖性とかいわれて、若い研究者が、こぞって、アメリカに渡ったものです。外国の環境でニポン人研究者が成果を上げ、実績を積んでいる、その結果、が、今回の受賞なのではないか。
年齢も、ご高齢であるのは、ニポン人であるということだけであって、ニポン国の自由な、学問的雰囲気、研究の自由など、そういうところからの受賞なのだろうか。ふと疑問が湧きましたね。だって地道な基礎分野の研究が、とうじ、どれだけ冷や飯をニポン国から味合わされたか、あっけらかんとした受賞者の顔を見ながら話す、コメントに含まれる<含意>が、「ちょぼちょぼ」には読み取れるのである。
大いにメデタイことであっても、受賞者たちの、どこか興ざめしている姿は、忘れられない。海外へ出て、世界を相手に知の想像力を発揮するのは、むかしのようなこの国に対する期待はずれから孤軍奮闘でスタートするのではなく、開かれた学術交流環境から世界へ出て実績を積み重ねて欲しいものですね。日教組が悪いなどと悪者探しのイビツな政治家が、教育行政に関与することがないこと、まずそれが先決ですね。
教育現場に、国や行政は関与しない、すべて教員と父兄に任せたほうがいいではないでしょうか。自由な学問の雰囲気のない管理されたところから豊かな実績は生まれないだろう。